ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3573, デジタル進化論
1、自分の特定の欲望がかなえられていること  2、その欲望が自分の一般的信念にかなっていること
3、その欲望が世間から承認されていること   4、その欲望の実現に関して、他人を不幸に陥れてないこと 
 特に1〜3までの実現に4が生じてしまう。
 幸福論というと、エピクロスの快楽主義が思い浮ぶ。
「人生において、面白おかしくしたい事をする事が全てに優先されるべき」
バランスが問題になるだろうが。最近の幸福論としてヒルティやアランである。
・ヒルティの幸福論はキリスト教の理想的なカタチ
・アランは内省ー解釈の仕方ー気持ちの持ちよう集約するとこんなものだろう。
私の幸福論はやりたい事を見つけどれだけやったかという達成主義である。それもあくまで自己欺瞞でしかないのだろう。
愛・知・力という3点に自分の目標値は決め、達成のプロセスが=幸福という単純なものだ。しかし死を宣告された時に
その達成感など何の支えになるかと考えると、その前に粟粒でしかない。この不幸論の一番気にいったところを抜粋した。
ーだいたい、幸福論を書こうという人の動機が気に入らない。
 彼(女)は、
・まずだれでも幸福になるという基本態度を押し出す。
・次に、この磁石の上に、自分の体験を重ね合わせて、幸福とは大それたものでないことを、それは考え方を変えることで
誰の足元にもころがっているという壮大な建造物ー砂上の楼閣を創りあげる。これは幸福教の布教にすぎないまやかしである。
幸福そのものが虚妄なのではない。幸福そのものが、じつはあまりにも高いところに位置する。幸福が安直に手に入ると思う事が、
虚妄なのである。各人の幸福は自分の五感で探すしかない。そしてヤコブが砂漠で神と格闘したように、全身全霊でみずからの
人生と格闘した後に、とうてい到達できない事を知って、絶望するほかない。こういうことを悟った者は幸福でない。
しかし、幸福という幻覚に陥っている者より数段マシである。
ーー
以上がだいたい彼がこの本で貫いている主張の要旨だ。私の今の気持ちー敢えて気持ちと書くーは以下である。
両親や身近な人の死に様や生涯をみて、一生かかって何かをやり終えた人生そのものの判断を幸・不幸という言葉で論じるべきでない。
それは酔ってる気分の状態を論じているにすぎない。「酔って気持ちが良いか、悪いかの」まあ幸不幸は考えないのが一番幸福だ??
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2002年01月06日(日)
 292,システム・エンジェニアーSE
  (字数制限のためカット 2011年1月6日)
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ある時間の断片
 1月6日 1969年
10時起床。 食後、11時から16時までジャスコに出す論文の下書きを完成。それにしても集中力が足りない。
構想力や文章力のなさに自分でも情けない。絶対量の本を読んでなかったツケがこういうカタチになって出ている。
独りになる時間が少なかったのだろう。その為に、独りになると逆に縮んでしまうのだ。焦りと、動揺がここにきて出てきた。
リラックスをして自分をもっとしっかり見つめないとダメだ。このように家に休暇で長く居れるのも、これが最後。
こうしてみると、やはり学生時代は人生で一番良い時だったのだ。

01月06日(木)
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