ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[396144hit]

■2711, 臨死体験を経験できるヘルメット
集団で踊るかだ。それに対して、男女二人が体を密着して誘惑しあう。
 ・・・・・・・・・・・・・
ータンゴの歴史
 (以下、字数の関係でカット08年9月6日)

・・・・・・・
2002年09月06日(金)
511,こころの添削

「文章を添削することは心を添削することだ。
その人の心が添削されないかぎりはその人の文章も添削されようがない」
       ー藤村藤村の「初学者のために」より

なにか毎日[[随想テーマ日記」を書き続けていて、一番勉強になるのが自分自身である。
思っていることを書き出して、添削を続けていると心を書き出し、こころを添削しているような気になる。
小さな、ネジ曲がった自分がまず浮き彫りになる。そして、他人に見られていることを意識して書き直す。
その作業を通して、自分の心が添削されていくのが実感で解る。

文章の上達は「量を書くことと添削しかない」と立花隆が書いていたが、そのとおりである!
添削は誤字や文の脈絡の捩れを直すだけでなく、その前提になっている自分の視線・視点を治す事だ。
言葉が汚い自分はこころも汚い事と反省しなくてはならないが!

・・・・・・・・・
人生は「自分が真にしたいことを見つけ、面白く生きること」これが秘訣だと両親の生き方より若いときから学んだ。
ものを書くことも然りと、田辺聖子の「いい文章を書くために」という随想に書いてあった。
「書きたいことを、面白がって」そうすれば、読む方もその人の本当に言いたいことに注目をするし、
面白がって読むだろう。文章も躍動感に満ちたものになるだろう。
なるほどと思ったと同時に、文を書くとき本当にそう考えていただろうか?

・・・・・・・・・
「随想はつまるところ自慢話」と井上ひさしがいっていたと、林真理子が書いていた。
なるほど、そのとおりである。 毎日書き続けていてそう実感する。
「こんなことを知っているぞ」とか「こんな経験したことがあるぞ」 とかだ。
それでは外に何を書けといえばいいのか?やはりその類のことしか実際のところない。
勝手に書いて、公開しているんだからと開き直るしかない。
何か書いている原動力が自慢話とは、それも面白いものだ。「毎回見ていただいてありがとうございます!」
いや「毎回自慢話を聞いていただき有難うございます!」

・・・・・・・・
2001年09月06日(木)
[135] 熊

「熊に追われ逃げてきた、そこに大きい池がある、その横に木が立っている、その向こうに家がある」 
さあ貴方はどうする。「木に登るか、池に飛び込むか、家に逃げ込むか?」

木は理想。池はセックス。家は-実家ー昔の思い出ー
ー木に登りしがみつき、池に飛び込み溺れ、家に飛び込み熟睡,でもすぐ飽きてしまう。
これが人間の姿だ。熊は何かーもちろん現実そのものだが、     自分の影か父親か。
この質問を第三者にしてみると本当に面白い。そのものずばりだからだ。

この喩えを知っているためか、よく熊に追われる夢を見る。 「何処かの家の外に熊がいる、
いつのまにか家の一階にいる、そのうちドアの外まで来ている、どうしよう」というところで目が覚める。

どういう訳か熊に襲われる前に目が覚める。

09月06日(土)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る