ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2701, 地球史における革命的事件
数千頭のオットセイの群れの岩場も印象に残った。帰路にたち寄った小さな湾の野生ペンギンの群れに
一〜二m近くまで近づき顔をつきあわせたのも、自分が人間である事を一瞬忘れてしまいそうであった。
C 南アフリカといっても、ヨハネスブルクは一千万人近いロスアンゼルスを思わせる大都会であった。
ケープ・タウンも人口百三十万人の高速道路、高層ビルがたちならぶ超近代都市であった。
反面、地方の大部分が超貧困層の黒人が占めており、まだ深刻な人種対立が根が深いようだった。
現地の年配の英国人妻の日本人ガイドの視点よりみる、人種間の対立の話を聞くうち、あくまで我々は生活者でなく、
旅行者(通行人)でしかない事を思い知った。まだまだほとんど書けないほど多様な旅行であったが、
どこに行っても人間の普遍性とそれぞれの文化の多用性、特殊を見ることができるのが旅行の最大の収穫でもあった。
H 7.10/27〜11/6
ーH0809 愛と憎しみと価値判断ー
「“愛”の反対語は“憎しみ”ではなく、“価値判断を下すこと”」という言葉に接して、
その深い含蓄ある意味を私なりに考えてみた。この事よりまず愛の一面の意味として“価値判断を下ださずに、
1歩さがって見守る”という事になる。“憎しみ”とは“価値判断を下す事”それより生じる壁を相手との間につくる事、
それはとりもなおさず自分の壁をつくる事につながる。それはその壁を越えてくる(相手)、事象の拒否感情といえるのではないか。
この壁の内側は長い間の価値判断のくり返しにより、ますます卑小化していく。 そしてマイナス思考回路の習慣化と、
その結果としての病気の誘発を供う。 価値判断を下さない事はそれでは可能なのだろうか!?という疑問も残るが、
対象を“あるがままの姿でみる(きれいとみるでなく、きたないとみるのではなく、そのままみる目)が必要となる。
ーH0811 人生の楽しみ方ー
遊びの定義とは“自分の好きな事をして、それを楽しむ”というらしい。人生五十年の実感として
全く苦労した感が少ないのは、自分で目標をたて、そのプロセスを楽しんだ為とハタッと思った。
もっとも“自分の目標をたて、それを楽しむ”までの準備期間と、そのエネルギ−は大変であったが。
両親がこの達人であった。仕事も趣味も本当に楽しみつくしていた。“お金”とは楽しみの滓と父は常々いっていた。
母もありとあらゆる趣味を持っていた。そのほとんどが一流の域に達していた。
そのポイントを聞いた事があるが、“好きになれるかどうか、そして自分のモノになれるかどうか
始める前に見きわめる事、そして手をつけたら死んでもその域にいくまであきらめない。
そしてライバルをみつけて、その人についていく事”という。何事も遊びにまで昇華していく事がその主旨のようだ。
制約等でワクをはめられて“好きな事”ができないなら、“好きになる事”だ。
好きになれないのは自分の“主観”の固さでしかない。ある新興の大手企業で社是として
“おもしろ、おかしく”にしているのを知って驚いたが、単純だが奥ゆきの深さを感じる
08月27日(水)
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