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堀井On-Line
by horii86
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■2523, 賢人の知恵 −2
初めは冷たく感じるが、長く付き合ってもらえれば温みが感じられる。
目上の人で筆不精の私が何回も、手紙や葉書をやり取りしたのは先生が初めてであった。
− 遺稿文を載せてみるー
ーさようなら武澤先生ー
ー武澤先生ご遺稿・追悼文集ー「はげみ」より
武澤信一先生、そして懐かしい武澤ゼミ、八王子ゼミナール、はげみの会、
最終のゼミナールとその晩のコンパ。
そして先生の退職時のはげみの会(最後のゼミナールと称して参加者の全員の
自己紹介と経緯の説明)等々、様々なことが思い出されます。
私の学生時代、いや50年の人生で恩師武澤先生をのぞいて考えられない位、
大きい存在でした。‘ご遺稿・追悼文集’発行の手紙をいただいた時
「よかった」と思わず言葉が出てしまいました。
先生に対する追悼の思いを表現する場が、もやもやした中途半端な気持ちにあったからです。
立大3年の終わり頃、親友だった石川譲冶さんより
「今入っている武澤ゼミが素晴らしいから、面接に来ないか」と誘われまま、気楽に試験に行ったのが
武澤ゼミとの出会いでした。 そして入ってまもなく大学3年間の、いや人生の22年間の不勉強に、
呆然としてしまいました。そして2学期から卒論を書くにあたって、知的コンプレックスは極限に
達してノイローゼの一歩手前の状態になってしまいました。進路もこのまま果たして
このまま進んでいいものか?直接その迷いを先生にぶつけてしまいました。
その時の武澤先生の一言が「迷いを数字で表現してみなさい!」でした。
その時の自分の答えが忘れることができません。
「51対49」でした。すかさず先生は「それなら、51の方を選ぶべきです!」
しかしその後、最終的に選んだのは49の就職の方でした。
「それなら初めから相談に行く必要がなかったのではないか」という矛盾でした。
その後就職をしたのですが、その後そこを辞め大学に編入しなおし、再び就職後
事業を起こしました。そして現在に至っています。
そのプロセスの中でいつも先生の影が、自分を追い立てていたようです。
また「51対49」が私の人生観の一つになりました。
何事も「51対49」と考えると、迷いも冷静に対処できるのです。
好き嫌い「51対49」差し引き2。正しい、間違い「51対49」差し引き2・・・・。
1989年の夏、先生が新潟大学で第19回の労務学会全国大会で議長をされました。
その時、私のホテル(シングルイン新潟)に泊まっていただきました。
そして「卒業後の30年のつもる話」を、させていただいた事を忘れる事ができません。
そして新潟の夜をハシゴをして飲み歩いた事も。
ところで武澤先生と最後にお会いしたのは、1993年の「はげみの会」でした。
二次会で先生が異様に元気がないのが、気になっていました。
そして、その会の帰りがけにエレベーターの前で、私の手を握って
「堀井君、遠くから有難う!身体にくれぐれも気をつけて、元気で!」
と上下に激しくふった時、「もしかしたらこれが最後のお別れになるかも?」
と思ってしまいました。しかしまさか、こんなに早く現実になろうとは・・・。
天国の武澤先生、本当に本当に有難うございました。ご冥福をいのります。
1996年7月13日発行
03月01日(土)
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