ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2144, 「狂い」のすすめ −1 
まず自分自身を愛し、魂を育てることが「愛」の第一歩である。
その前に人を愛そうとしたり、人に愛されることを求める。
それはオカシイと考えもしない、世界の大部分がそういう人で満ちている。
別にエゴイズムを勧めているのではない。
他人に対する愛の希求を、まず自分に向けよ!
自分の魂に慈愛を与えよ!である。
自分のやりたい事を見つけやることが、魂に慈愛を与えることになる。

それを第三者に求めることを「愛」と勘違いしている。
真にやりたいことを、第三者に求めていないか?
第三者にそれがある訳が無いことを解ってない。
新約聖書に「汝を愛するように、隣人を愛せ」という最も象徴的な
真理がある。汝を愛せない人間が隣人を愛することができるのだろうか。
聖書もまず隣人を愛せとか、自分への愛を否定はしていない。
宗教的な文章になってきた。

それを知っている人間は他人のそれも解る。
自己欺瞞が世界に満ちている。
解ってない人間が奇麗事を言う。
他人のアラを探す、無能だからそれしかないのだ。 
こういう一生を「無能松の一生」という。
私の知人に典型的な奴がいる。
もっとも、悲しいことに一番に自分に似ている!
・・・・・・・
2月15日 1969年

昨夜のことで、本当に自分が嫌になる。
いい加減な自分に嫌悪感を感じる。
あとは、思い残すことなく社会に出よう。
学生時代は終わったのだ。
ーこれからの予定として
2月17日に先生のところに最後の挨拶
2月19日にゼミの工場見学
  11時〜18時
その後、2日間長岡に帰る。
2月26日にジャスコ入社式のため四日市に出発
     3月2日まで、入社前教育
 ーーーー
以上で半年続いた日記が終わっている。

その続きを書いていたかどうかは記憶がない。
書いていたかどうかは五分五分である。
この一年後、カード型の分類日記を一年間書いた記憶がある。
その一年後、全てを捨ててしまった。
本当は捨てなければよかった。

この日記よりもっと激しいことが書いたあったようだ。
それだけ、その後の一年は激しい一年であった。
心身ともボロボロになっていた。
大學を出て、十数年は誰もがそうだろうが、一生分の問題を吐き出し解決してきた。
三十代半ばからは楽だったのは、それまで精一杯生きたからだ。

それにしても、凄い?20代~30代を過ごしてきたものだ。
他の人のことは解らないが、私は限界ギリギリのところだった。
読んでいて気づいていると思うが、やはり背景は恵まれていたのだ。
時代に、両親に、そして先生に、友人に。

月並みの言い方になるが「ありがとうございます」という言葉の重みを
つくづく感じる。今も、当時も一番足りない気持である。
「ありがとう」という言葉は、言い尽きないのが人生と振り返って実感する。

この時代の人達に「ありがとうございます」と手を合わせて、この青春日記を終了する。 
少なくとも書き写している間は当時にタイムスリップをしていた。
毎日続いた一時のタイムスリップも、今日で終わってしまった!
あまり過去に住むのは良くない。

今年の9月からの同月同日の日記として、再び貼り付けるかどうかは、
その時考えるが「もう見たくはない」のが現在の気持ちだ。
半年も経てば気持ちが変わる可能性があるが。
当時のこの男の頭をなぜてやりたい。
そして「35年前よ、さようなら!」と、
腕がちぎれるほど何時までも手を振りたい気持ちである。
 当時と同じように少し感傷的になってしまった!
「あたらしき 明日の来るを信ずといふ
 自分の言葉に うそは無けれど〜  啄木」
  
この日記帳の表紙にデザインとして書いてあった詩である。
日記帳の下欄には、啄木の詩や日記や書簡集が印刷をしてあった。
しかし詩心は芽生えなかった!
  ーーー 
 明日からは、換わりに、次のシリーズとして、
 このホームページの「お笑いのコーナー」の、
 ジョークと小話を貼り付ける。
 少し品のないところもあるが!

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02月15日(木)
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