ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■7701,閑話小題 〜実質、ロシアの敗け
何か遊んでいると楽しい!

 その数日後に場面が変わり、幼稚園の合格のしらせがきた。
手紙を待っていたが、何時までたってもこないので、お母さんが
「落第したのかもしれないけれど、そんなことがないはずだが・・」と言う。
ガッカリしていたところ、合格の葉書がやっと届いたが、凄く嬉しい。
クリスマスの飾り付けのため、二番目の姉の恭子と近くにツリーの飾りを買いに
二人で行った。大きな雪がフワフワと降っている。ツリーに吊るす色いろな
ものを二人で選んだ。小さな家とか、星とか、動物とか、人形などがあった。
それを袋一杯に買って家に帰って3Fの食堂で飾り付けをした。ラジオの
クリスマスの音楽を聴きながら、それを他の姉たちと飾りつけた。
ツリーの電飾がいやに奇麗だ!
こんな楽しい気持ちは初めてと喜んでいる自分を誰かがみている。
あれは誰だろう? 翌日の朝、枕元に箱に入ったサンタの贈り物があった。
雪が、ドンドン降っていて窓の下は雪で埋まりそうだ。
    
突如、周りを見渡すと誰もいない空間になってしまった。
何処に行ったのだろう、皆は!
白い靄がかかり、その中で恐ろしさが襲ってきた。
目をつぶって白い布団を被った。
  目が覚めると、そこは寝室の布団の中であった
               (o ・д・)ツ  バイ!
・・・・・・
2007/04/25
2213, 白い雲に乗って ー3
          (・_・) ノ オハヨウ!
 これは現在の日常の話。 
お風呂に入った直後の22時過ぎにクラッシックを聴きながら就寝する。
就寝30分後に爆睡を4〜5時間した後、午前の3〜4時に一度目が覚める。
そして冬時間の起床時間が5時半、夏時間は5時に起床する。
起床前の2時間が半睡状態の時間になる。その時間が、ある意味で
ゴールデン・タイムになる。夢をみたり、夢と現実の塀の上を遊ぶ?

 以前書いた「白い雲にのって」は、半覚醒で子供時代に立ち返った内容。
夢のような、魂の故郷を漂った白昼夢の世界の描写である(いや白朝夢か)。
白い雲に乗ったイメージで当時の思い出の世界に入ると、記憶がドンドン
出てくる。脳の奥行きの深さに驚いてしまう。

 ある意味で夢と同じぐらい深い脳の領域に思える。
50〜60年前の赤ちゃんから幼児の記億の世界は、魂の世界である。
殆んど忘れてしまった、古い古い記億の痕跡への旅である。
立ち返って気がついたのは、それからの人生の激しい時代の記億より、
ず〜と刺激の強い世界の思い出である。

 白銀色の毎日が新鮮な経験のシャワーを浴びているようで、愛情に包まれた
夢のような日々であった。ドラマをみているような、自分そのものが舞台劇の
小さな子供の役者を担っていた。

 初めての大きなショックが、柏崎の親戚の近くの海を初めてみた時である。
それまでは近くの公園の池しか見たことがなかった。
海のコバルト・ブルーを見たときの驚きは現在でもはっきり憶えている。
それと、舟と漁師の姿と磯のカオリも記億に鮮明に残っている。
よほどショックだったのだろう。

 ところで、私が生まれたのは第二次大戦の終戦の5ヶ月後の1946年1月15日である。
越後長岡の東神田で産湯をつかり、長岡駅から100b先繁華街の四つ角に三月後に
戻ってきた。百日風邪になり「もしかしたら駄目かもしれないと医者に言われた」
と、父は口ぐせのように言っていた。
 私の名前は八人兄弟の末で「八郎」というが、実際は九人目で、
もう一人2歳で亡くなった兄がいた。父が42歳、母が38歳の時の子供である。
そのためか、特に父親にはペットのように特別愛されて育った。
16歳、14歳、年上の兄と、その下に姉が4人、その下にすぐ上の兄がいて、
最後に私という構成であった。(2~3歳違いで、双子、年子は一人もいない)
終戦直後で両親は大家族の生活維持のため人一倍働かなくてはならない条件が。
産まれてから10年間の長岡のど真ん中の大手通の生活は刺激の強い環境にあった。

 東神田から大手通に連れてこられた生後三ヶ月後の記憶が残っている。

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03月30日(水)
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