ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■7410,シネマ観賞 〜 ―1 ‹5月28日› 
早朝の仏壇前で、因縁深かりし故人のイメージを繰り返し想い浮かべている。
「末期の死の床での予行演習」の準備の一環ですか、これは。「暗い!」と、
いうアナタ。これは時間をかけ身につける「必須科目」。私だけの話だが… 

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4823,変えてみよう!記憶とのつきあいかた ー4
2014年05月29日(木)
         「変えてみよう!記憶とのつきあいかた」ー高橋雅延・著
   * 万能薬としての「語り直し」
 ー「事業人生の45年」の語り直しーを書き始めたが、何故か心が重い。
 気持ちの中で目的のため、多くを切り捨ててきた部分を違う視点で見ることに
なるからだ。しかし、一つのことを得ようとしたら、それに見合うだけを捨てて
かからないと、何も得ることができない。万能薬として「語り直し」も、劇薬
にもなってしまう。これまでの記憶のありようを現在の主観的経験で変えようと
するのが、「語り直し」である。  ーその辺りから
《 その人の立ち位置によって、同じできごとでも違って解釈できる。だから、
 過去のどんなできごとも、必ず違ってみることができることを、肝に銘じて
賜おくことが必要だ。その上で、ある過去のできごとについて意味づけを変える
ために、そのできごとを、それまでとちがうことばで語り直さなければならない。
世間には「時間が癒す」という言いまわしがある。ここで、見過ごされがちな
ことだが、「時間が癒す」のは、単に時間が過ぎ去るからではない。
時間が過ぎ去る間に、人はそのできごとについて何度も考え、悩み、さらには
新しい経験をする。このことによって、元のできごとの意味づけ、語りかたが
変わるからなのだ。 ・・(中略)
「記憶をつくり変えたり、それを遠ざけるのは無理なことである。・・(略) 
しかし、―つねにー私たちは、自分の苦悩、自分自身の内的経験、自分自身の
精神の経過を処理しているわけである。それは、過去とよばれる客観体ではなく、
現在とよばれる主観的経験である。変える必要があるのは、誰か他の人間では
ない。最も大きく影響されているのは、私たち自身である。記憶をぬぐい去る
ことはできないが、記憶の有りようを変えることは可能なことを、私たちは
知っている。」・・ 》
▼ 現在、連続シリーズで書き始めたのは、「語り直し」だが、それより、
 全く忘れていた記憶の書き加えが多くなる。それが、書き直しということだが、
太い幹の記憶から、忘れていた細い幹と小枝と葉っぱ記憶が出てくる。
その記憶が新たな気づきを喚起する役割なってくる。若い時分は、誰も経験も
知識の絶対量が足りなく、ただ漠然と日々を過ごすしかなかった。あるのは、
何とかなるのでは?という、儚い想いだけ。語り直しは内省そのものになる。

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5553, 「要するに」「面倒くさい」「面白くない」「あとでしよ」」
2016年05月29日(日)
   * 「要するに」「面倒くさい」「面白くない」「あとで」
<「要するに」「面倒くさい」「面白くない」「あとで」>は、自らの壁を
つくることになることに気づかない。この随想日記を読み返すたびに、
「要するに」が目に付いてしまう。 要約を一度する癖も必要としても、
自分の理解した枠に、せっかくの新しい知識、情報を押し込むために、
次の深化が、そこで止まる。
 最近、老いの一現象か、「面倒くさい」の思いが先立つ。しかし、何事も、
「面倒くさい」先に、面白いこと、楽しいことが待っている。乗り越えてこそ、
面白いのに、「よる年波に勝てず」と、年齢のせいにする。「面倒くさい」を
乗越えるためには、一日、週、月、年単位のスケジュールを予め組むとよい。
 次に、「面白くない」。 これは老化のバロメーターである。以前は、
あれほど面白かったことが、何か詰まらない。「あれは、ああいうこと、
これは、こういうこと」と、小さな自分の範疇に入れてしまう結果である。
何事も、急がしい合間に、無理をしてするから楽しいことが多い。
老いるほど、中村天風の『積極一貫』を心がけなければならない。

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05月29日(土)
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