ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[384506hit]

■7148,閑話小題 〜まあ、面白そうな…行末は?
いう事実そのものが、「人間がその外的な運命よりも内的にいっそう強くありえる」
ということの証しとなると述べています。

 わたしたちはともすれば、自分を取り巻く様々な運命的な制限(生まれや能力、
容貌、環境などなど)に落胆し、成す術もなく空虚な気分になりがちなワケですが、
しかし、これらの変えようのない事実をしかと受けとめ、その苦しみに塗れ
ながらも、どうにかして何かをしていこうという姿勢こそが、わたしたちを
内的な成長へと導いてくれるのだとフランクルは言っています。収容所の中でさえ、
そのような偉大な所業を成し遂げた人間がいるのなら、現代に生きるわたしたちに
出来ないはずがないでしょう。全ての苦しみをかかえる人が、それぞれ立っている
場所から自己と自己に与えられたモノを見つめることによって、それぞれの意味を
見出し、苦しみを乗り越えることが出来るはず。わたしはそう思っていたりします。


「真の運命を正しく耐え、率直に苦悩することは、それ自身、行いであり、まさに
 人間に許される最高の成就であり業績である。」(『神経症の理論と治療』より)


----------------
「夜と霧」からの抜粋
ー内面化と内的豊かさ

 人間が強制収容所において、外的のみならず、その内的生活においても陥って行く
あらゆる原始性にも拘わらず、たとえ稀ではあれ著しい”内面化への傾向”があった
ということが述べられなければならない。
 
元来精神的に高い生活をしていた感じ易い人間は、ある場合には、その比較的繊細
な感情素質にも拘わらず、収容所生活のかくも困難な、外的状況を苦痛ではあるに
せよ彼等の精神生活にとってそれほど破壊的には体験しなかった。なぜならば彼等に
とっては、恐ろしい周囲の世界から精神の自由と内的な豊かさへと逃れる道が
開かれていたからである。”かくして、そしてかくしてのみ繊細な性質の人間が
しばしば頑丈な身体の人間よりも、収容所生活をよりよく耐え得たという
パラドックスが理解され得るのである。”

 若干の囚人において現れる内面化の傾向は、またの機会さえあれば、芸術や自然に
関する極めて強烈な体験にもなっていった。そしてその体験の強さは、われわれの
環境とその全くすさまじい様子とを忘れさせ得ることもできたのである。

〜中略〜
 あるいは一度などは、われわれが労働で死んだように疲れ、スープ匙を手に持った
ままバラックの土間にすでに横たわっていた時、一人の仲間が飛び込んできて、
極度の疲労や寒さにも拘わらず日没の光景を見逃せまいと、急いで外の点呼場まで
来るようにと求めるのであった。そしてわれわれはそれから外で、西方の暗く燃え
あがる雲を眺め、また幻想的な形と青銅色から真紅色までのこの世ならぬ色彩とを
もった様々な変化をする雲を見た。そしてその下にそれと対照的に収容所の荒涼と
した灰色の掘立小屋と泥だらけの点呼場があり、その水溜りはまあだ燃える空が
映っていた。感動の沈黙が数分続いた後に、誰かが他の人に「世界ってどうして
こう綺麗なんだろう」と尋ねる声が聞こえた。

ー運命としての苦悩を受け入れる

かかる人々は、著しく困難な外的状況こそ人間に内面的に自らを超えて成長する
機会を与えるものだということを忘れているのである。収容所の外的な困難さを
内的な試練の試みに変える変わりに、彼等は現在の存在を真面目に受けとらず、
それをある重要でないものに貶め、過去の生活に思いを寄せることによって現在
の前では目を閉じるのが最も良いと考えるのである。

ところで具体的な運命が人間にある苦悩を課する限り、人間はこの苦悩のなかにも
一つの課題、しかもやはり一回的な運命を見なければならないのである。
人間は苦悩に対して、彼がこの苦悩に満ちた運命と共にこの世界でただ一人一回
だけで立っているという意識にまで達せねばならないのである。
何人も彼から苦悩を取り去ることはできないのである。
”何人も彼の変わりに苦悩を苦しみぬくことはできないのである。

[5]続きを読む

10月09日(金)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る