ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[383725hit]
■7082,閑話小題 〜ここにきて価値観が真逆に?
両親や、それに類する人に感じられる人になるということである。これと逆に、
治療者が相談者に抱く特別の感情を逆転移という。この転移、逆転移を
「対人関係におけるファンタジー・幻想」といった方が分かりやすい。そこに、
集合的・普遍的な父親像、母親像も表現されるので、それが重要な分析材料になる。】
▼ いかに、幼児への親の対し方が難しいか、その辺のところが人間の精神の
成熟の鍵が隠されている。10歳までに人間の性格、能力の殆どが決定されて
しまうことは、自分と、至近の人たちを見渡せば分かる。そこまで、立ち戻って
治療をしていくのが発達派の治療態度。これを血筋と昔から日本人は言っていた。
(哲学的にいえばハビタス)。 もちろん、それぞれ例外はあるが・・
両親との関係から、現在の自分に至ったプロセスを見つめ、その歪みを自覚
させるように導き出す。 多かれ少なかれ歪みの集合体が自分ということになる。
・・・・・・
5255,ルサンチンマン 〜ニーチェ「超」入門〜
2015年08月04日(火)
〜ニーチェ「超」入門〜白取春彦著
* ルサンチマン
ニーチェといえばルサンチマンである。ユダヤ教は、男と強者のための宗教
に対し、キリスト教は、女と奴隷などの被支配者の弱者を愛する教えだった。
支配者にとって、弱者の宗教ほど、支配するため都合の良い教えはなく、
中世から近代にかけて、欧州がアフリカ、南米などを世界進出する際、
キリスト教の普及が有効に働いた。 ーその辺りを抜粋ー
≪ モラルもまた遠近法的な見方から生まれた価値解釈とニーチェは考える。
道徳、モラルというものは、誰か特定の人々が定めて広めたものだ。
古代君主道徳と奴隷道徳においては、しばしば暴力によってその地を占めた
支配者やその所属の人々だ。彼らは貴族と自称した。支配者や貴族たちは自分
たちを中心にして善悪を定めた。つまり、自分たちの気質や行為を「善」とし、
そこから遠ざかっている行為を「悪」とした。これはもちろん遠近法的な思考
から生まれたものだ。貴族のような力を持った者たち、いわゆる強者から生まれた
道徳を、ニーチェは「君主道徳」とした。ちなみに、現代では辞典に採用される
ようになったこのドイツ語は「主人のモラル」とも「支配者のモラル」と訳すこと
ができる。それと対立する支配される側の者たち、いわゆる弱者たちから生まれた
道徳、キリスト教道徳に代表されるようなものを「奴隷道徳」と名づけた。
こちらの原文のドイツ語は文字通りに「奴隷のモラル」と訳せる。 ところで、
こういう名称からくる印象によって現代のわたしたちは二ーチェは差別主義者
のように思えるかもしれない。しかしニーチェは、どんな道徳にしても遠近法的
な思考から生まれたものだということを述べているのだ。つまり、どちらも真の
道徳だというわけではない。それどころか、真の道徳というものなどなく、
あるのは何を自分たちの道徳にするかという遠近法的解釈だけ。
道徳はその時代の文化、その土地の文化から生まれ、それゆえ多様だからだ。
この地での悪とみなされる行為が、別の地では悪ではないことは往々にしてある。
たとえば、古代においては人間を殺して神への供え物とする風習の地があった。
これは悪習ではなく、宗教上の道徳的義務でもあったのだ。
ールサンチマンー
どんな道徳も当時の遠近法的思考から生れたものだとニーチェは認識しながらも、
やはりキリスト教道徳に対しては嫌悪感を見せている。なぜならば、キリスト教
道徳は恨みから発したものだからというのだ。この恨みはルサンチマンと呼ばれる。
強烈なやっかみ、屈折した逆恨みのニュアンスを含ませるためにルサンチマンと
いう語を使ったのだ。 モラルなど最初からなくて、あるのは何を自分たちの
道徳とするかという遠近法的解釈だけなのだ。
ニーチェは、キリスト教道徳の生まれた紀元の時代の人間関係にこの道徳の
発生の原因を見た。つまり、ローマ帝国が地中海を中心にヨーロッパのほぼ全域
[5]続きを読む
08月04日(火)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る