ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6897,閑話小題 〜パンデミック −2
心を汚れたものにする不浄なものであると見なし、身体の誘惑から身を守ること
の必要性を強調した。心は不断に身体によって汚染される危険にさらされており、
制御されなければならないものであった。
▽「心は、捉え難く、軽々とざわめき、欲するがままにおもむく。その心を
おさめることは善いことである。心をおさめたならば、安楽をもたらす」
へラクレイトスと同様に、ブッダも欲情や危険を身体の内に見ていたことは
否定できない。ブッダは、先にも述べたように、自己を、自己の主となるべき
ものであると見なしていたが、それはまた、自分の心に一定の方向を与え、
乱れやすい自分の心を制御するという課題を担うことを意味しでいた。
ブッダにとっての自己とは、自己によって注意深く配慮し、支配、制御すべき
ものだったのである。ブッダが身体をネガティブに捉える観点には賛同しかねる
としても、注意を促している点は共感できる。
▼ 釈迦は弟子たちに向かい「修行僧たちよ、 すべては移ろいゆく。
怠りなく努め励めよ」 と言い残され入滅された。世の変化に対し、己も変化する。
そのために己の中の動物性をコントロールし、心を整えることが目指すところである。
・・・・・・
5435,人生で最も大切な技術 ーN
2016年02月01日(月)
『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著
* セルフの分解
セルフをネット辞書でみると、
☆ 「自己・自我・自身」「自身で」と、
☆ ユング心理学で,無意識を含む心全体の中心であり,かつ心の外
にもあって意識と無意識の調和を図る超越的な存在。
ここでは、「私」+「人格」=「セルフ」の分解 が明快。〜その辺りから〜
≪ この問題をより深く理解するために、詳細な分析に再挑戦してみよう。
個人的アイデンティアイの概念には「私」「人格」「セルフ」の三つの側面が
ある。これらの側面は基本的にはたいした違いはないが、自分は自分である、
というアイデンティティへの執着の仕方が違うことを反映している。
・「私」は現在に存在する。「空腹だ」とか「存在する」と考えるのは「私」
であり、 意識、思考、判断、意思の発信源である。要するに、現在の状態
を経験するのが「私」である。
・精神神経学者、デビツド・ガーリンは、「人格」の観念はより広範囲である
として、 次のように結論づけている。「人間の肉体的、精神的、社会的な
存在の多様な側面が組み込まれた過去、現在、未来を通じ、ダイナミックに
流れる流動体であり、その境界線は流動的である。
『人格』は以下のように広い範囲に該当する「肉体(健康状態などの)、
個人的な考え(極めて個人的な感情などの)、性格(良い人などの)、社会的
関係(個人的生活と職業生活を分離するなどの)、一般的な意味での人間
(人格を尊重するなどの)」。このように時間を越えた連続体は、過去の
自分のイメージにも未来の投影にもつながり、個々の人間が他と異なって
いて、独自の質を備えていることを明示する。・・・(略)
今この瞬間を経験する「私」を、存在の連続体である「人格」に結びつけると、
「セルフ」が出現する。デビッド・ガーリンの説明にあるとおり、人間には、
複雑なグループ分けを、「実体」という一つのグループにまとめることで単純化
を図り、次に、その実体は恒常的特性を持つ、と結論づけようとする傾向がある。
環境が刻一刻変化することがなく、ほとんどの現象が永続するという考え方を
受け入れたほうが、世の中で楽に機能できる。・・・ ≫
▼この「セルフの狭い世界を、コップ一杯の水に喩え、一握りの塩を入れれば、
飲料水に相応しくなくなり、セルフの壁を突破すれば、同じ一握りの塩を入れ
ても、味が変わらない巨大の湖のように心が広がる。」と例える。
老いていく利点が、この湖のように広がることだが、一つ間違えると、溝沼
のように淀んでいく。大方の人にとって、老いるとは無念である。〜纏めると、
「私」+「人格」=「セルフ」。現在の状態を経験するのが「私」。
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02月01日(土)
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