ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6847,閑話小題 〜「13日の金曜日」
・また被験者の大脳を撮影した結果、両グループには、集中力に関係すると
される腹側線条体と前頭前皮質の活発度において、重要な差異が認められた。
同実験は、スタンフォード大学で「人間行動に関する、最も成功した実験の
うちの1つ」とされた。≫
――
▼ 15年かけ創業の準備をかけ30年間の実業の結果が、9・11テロ、リーマン
ショックと、東北大震災のブラックスワンの到来で45年のミニ物語が呆気なく
終わりをつげた。しかし、失ったモノ、コトより、得たコトが、少なくとも10倍
はあった実感がある。そこには想像を絶する忍耐を要した。両親の後ろ姿を見て
いればこそ、45年間を面白おかしく過すことができた。 学生時代に、水商売の
アルバイトなどから同棲や、二股、三股をかけるなど私生活の乱れがある知人は、
その後の人生は恵まれていない。それは目先の快楽を御菓子に例えられる。
家系もあるが…
独身時代数年の女職場は、猛毒入りのマシュマロ、いやマンジュウだらけ?
一度かじったら…それまで! 20歳の頃、ダブル合コンの片割れが目出度く成立、
卒業と同時に結婚した。その後の様々な女性とのイチャツキを、その時点で放棄
したことに、不思議な感覚にとらわれた。 いや、相手によるか? 今でもして
いるのもいる? 選んだ相手が、「猛毒を持ったタガメ」のケースが?
誰のこと? 人生は複雑怪奇!「若い時に誤りがないのが最大の誤り」としても。
・・・・・・
4289, 学ぶということ −3
2012年12月13日(木)
「最終講義 生き延びるための六講」内田樹著
* 教えたい人間が引き受けるべきリスク ー教育の原点
教育だけでなく、事業も、忘年会の幹事も全てに通じる内容である。
何かを引き受けたり、事業を立ち上げたようと決心した瞬間から全うしよう
とする自己責任が起きる。これは誰の問題でなく自分の問題。決心と実践の
本質の問題。著者は教育者のため「教えたい人間」が主語だが、実は
「実践者としての人間」が、引き受けるリスクのテーマである。
ー まずは、その辺を書き出して考えてみる。
≪ 教えるということは本質的には「おせっかい」だということが骨身に
しみたのは、ある出来事のせいです。・・80年代の中ごろ道場を始めた。
台風がきて、一時間くらい薄暗い体育館の中でまっていたけど誰も来ない。
そこの道場の中に座りこんで、来るか来ないかわからならない門人が来るのを
待っている。これは理不尽でないかな、と。 「だいたい、ただ同然のすごい
安い月謝で教えているのにさ、ちゃんと来いよな」と思ったり、だんだん気分
が沈んできた。そのときに体育館の鉄の扉がガラガラと開いて、近くの中学生
が顔を出した。「あ、先生いたんだ。今日台風だから稽古ないのかと思った」
「台風でもやるよ」。それから二人で一時間くらい稽古をしました。
そのとき、外で嵐が荒れ狂う暗い体育館で腕組みしながら、誰も来ない畳の
上に座って待っていたときに、僕は覚悟したんです。人に教えるって、
多分こういうことだろうって。誰も「教えてください」と言ってこないけれど、
こちらが「教えたい」と言って始めた以上、教える人間はこのリスクを引き
受けなければ! そう思ったんです。誰かが扉をあけて来てくれるまで、
待ってなければいけない。畳を敷いて、準備体操をして、呼吸法もして、
いつでも稽古できるように備えていなければならない。それが「教えたい」
と言った人間の責任の取り方じゃないか、と。そのとき、教育というのは
多分そういうものと思ったのです。27・8歳の頃でしたが、気持ちは
今でも変わっていません。それが僕のなかの起点的経験としてあるのです。≫
▼ 新潟で30年近く前に立ち上げた会が、今でも続いている。私は10年ほど
前に抜けたが、先日、参加してきた。私の経験からして幹事は大変。
これを立ち上げに際して、3年は続ける!が、後は成り行き次第と決心をした。
最初は我慢我慢の連続。「荒れ狂う、体育館で腕組み」なんてものでない。
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12月13日(金)
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