ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6470,閑話小題 〜下ネタABC、そしてDEF
学び続けるしかない。だから、考えようとしない人は直ぐに分る。まともな
順にA,B,Cと分け割り切っている。その全ては過去の自分の行蔵に含まれており、
険しい山道の道標の自分の姿でもある。死刑囚の『無知の涙』永山則夫著
という書があるが、「考えないこと」からくる罪は、無知から生まれ出る。 
過去の記憶のフラッシュは、B,Cの自分の行蔵が殆ど。他人の評価は別として、
私自身としてAに到着したのは、還暦辺りか、それとも65歳の辺り。
いや、Cのまま? ABCが混在しているのが人間だから人生は面白い。 
経済震災と自然震災もあって? この結果に終わり、あたかもオセロの白駒が、
黒駒に変わったような経験をしてから、更に考えざるを得なくなっている?
筆者は「日々の暮らしに目を奪われ、考えないことが、如何に罪を積み上げて
いくことを知るべき」という。   ーその辺りの一部よりー
《「憎悪の差別語をまき散らして憎悪をかき立てる『凡庸な悪』と、社会は
如何に向かい合うべきか」の座談会の出席者たちは、いわゆる「在特会」の
「朝鮮人は死ね」といったヘイトスピーチの主張に、かってハンナ・アーレント
がユダヤ人虐殺の中心人物であったアイヒマンについて語った「凡庸な悪」を
見いだす。深みのない「凡庸な悪」であるからこそ、底無しに広がってゆく
可能性があると指摘。彼らは特殊なのではない。
 私たち社会の中に、彼らの考えに同調する素地があるのだ、と。
だが、その「凡庸な悪」に染まり、世界を滅ぼそうとしているのは、「在特会」
とそれを支持している人たちだけなのだろうか。アーレントは、アイヒマン裁判
を傍聴し、彼の罪は「考えない」ことにあると結論づけた。
彼は虐殺を知りながら、それが自分の仕事であるからと、それ以上のことを
考えようとはしなかった。そこでは、「考えない」ことこそが罪なのである。
私たちは、原子力発電の意味について、あるいは、高齢化や人口減少について
考えていただろうか。そこになにか問題があることに薄々気づきながら、
日々の暮らしに目を奪われ、それがどんな未来に繋がるのか「考えない」
でいたのではないか。だとするなら、わたしたちもまた「凡庸な悪」
の担い手のひとりなのかもしれないのだ。》
▼ 年末年始になると、中学、高校、大学、そして趣味などの忘年会に出席。
 学歴が上がるほど、「凡庸の悪」の人が間引きされ?少なくなる。それが、
その場の空気を綺麗にする。「凡庸の悪」の傾向の強い人は、とにもかくにも
考えない。その代わりに、他人との比較と噂が主たる世界。そこから出る毒ガス
で脳が侵され、噂を嘘に変えていく「凡庸な悪」の担い手、無知の涙に浮かぶ
シラミ。で、どの会にも一定の割合で存在する。逆に「考えるとは何か?」
という問いかけは哲学の問題。「考えないことの罪」は、人類そのものの原罪。
だから、人は学び続けるしかない。その結果、我が内なる(過去・現在)B・C
に出会う。その姿を見ている視線が、Aなる自分、考える自分になる。
・・・・・・
2014年11月30日(日)
5008,人は死ぬとき何を後悔するのか? 〜4
         『人は死ぬとき何を後悔するのか』小野寺時夫(著)
  * 治療を後悔する人が多すぎ
 読むにつれ憂鬱になるのが、病院経営の利潤が優先され患者はグチャグチャ
にされる実態?である。父が亡くなる直前にポツリといった一言、「あんなに
苦しむなら、手術をしなければよかった!」 死を覚悟した時、「どのみち
助からないのに、あの激痛を長時間も耐えなければならなかったか?」
の疑問が生じるのは当然。 ー治療に対する後悔する原因を要約するとー
・ここで外科医だった当事者の著者が、末期ガン者の手術のやり過ぎの実態に
 強い疑問を投げかける。 転移している場合、根こそぎの切除は不可能に
かかわらず、大掛かりな手術をするケースがあまりに多い、と。 食道ガンの
名医が、転移している膵臓ガンも切るため、その方が好い加減な手術になる。 
・日本では、「手術して直る可能性が高いのか」「再発する可能性が高いのか」

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11月30日(金)
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