ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6365,閑話小題 〜長岡弁に魅せられて ー1
今の人生から逃げたがっている人だ。しかし、どこへ逃げようとするのか。
熱狂へか。享楽へか。陶酔へか。安逸へか。癒しへか。あるいは死へか。
 しかしそれらもまた、死でさえ人生の中にあるのだから、人生から逃げる
ことなどまったくもって不可能。人生はゆったり全面的に享受するしかない。
自分の身に起こったいっさいの事柄を享受し、肯定するのだ。それは人間
として気高いことなのだ。 自分の身にだけはつごうの悪いことが起こらず、
幸せと良い出会いと潤沢さだけが舞い降りてくるように、と多くの人は願う
かもしれない。もしそのようなことがあるならば、人の生ではないだろう。
生そのものが成り立たないだろう。すると、人はやっぱり逃場がほしくなり、
宿命とか運命とかを信じようとする。何もわからならないでいる状態よりも、
オハナシでもいいから、ストーリーがほしくなるのだ。 自分の意思では
どうにもならない事柄、なんとも理由がわからない事柄を選んで、宿命とか
運命といったカテゴリーへと納めてしまう。そういう傾向をあてこんで、
領収書が発行されない商売を開く輩。 占い師たちだ。
 ところで、ニーチェは運命愛を持つことを勧めている。
すると、ニーチェは占い師たちのように運命や宿命を信じていたのだろうか。 
そうではない。二ーチェは、人の身上に起こる事柄を運命と呼んだにすぎない。
そして、どんなことが起きようとも、いっさいを受けとめて肯定するようにと
くり返し主張したのだ。これがニーチェの運命愛だ。あるのは人生の全面肯定。
何が起きようとも、「よしっ」という態度だ。決断がつらい結果を生んでも
「よしっ」という態度だ。自分のなすことすべてを肯定する態度だ。
・・(略) 部分的な時間を人生と呼ぶのではない。人生はすべてを指す。
部分的になんらかの物差しをあてて測定して結果とするのはあまりにも小さ
すぎはしないか。人生を全面肯定する人は、今のこの人生がもう一度そのまま
くり返されても、ツァラトゥストラのように「よしっ、もう一度」という。
 なぜならば、どういう決断をしようとも、まったく悔いがないからだ。
すべてを享受するのだから、反省や後悔など起こりようがないのだ。
むしろ、人生とはこういうものかとおもしろがるだけなのだ。
それは、人間としてとても気高いことではないだろうか。周囲の人々に
人生の尊さと、生きる意欲を我が身をもって教える人ではないだろうか。
それよりも、何が起きてもひるまず、たじろがず、むしろ不敵な笑みを
浮かべて取組む生き方のほうが人間としても高貴ではなかろうか。≫
▼ 中村天風の『積極一貫』の主張が、ニーチェの引用であることが
 見て取れる。 父が死期を悟り、死に逝くときに、母親に、
『再び生れ変わって、全く同じ人生を生きたい』と言ったという。
戦中、戦後の動乱の中を激しく生きたのを知っているいるから、
よくぞ、言えたものである。羨ましい限りである。激しく生きただけ、
後悔が少なくなるということか。 振返ってみて、本当に良い時代に
生を受けたことに感謝する。人間として生を得ただけでも奇跡だが!

・・・・・・
5633,お金に強くなる生き方 〜E
2016年08月17日(水)
            【お金に強くなる生き方 〜佐藤 優 (著)】
   * 高い学歴も、金で入手可能
 ここで、「子供を幼児から投資対象にする辛らつな世界が現実に存在する」
という。こうしたのが、官僚、弁護士、医師などになって、世の中を牛耳る
のだから、一般人はたまったものでない。中国の一人っ子政策で、親が自分の
将来を託すために子供教育に全てを捧げている。大学でも、付属の小学校から、
エレベーターで上がってきた人は、受験勉強で魂を磨り減らしてきた連中より、
違った強みと弱みをあい持っている。卑近の例で、幼稚園、保育園に通った人
と、通ってなかった人は、何かが(温みの有無)違っていた。〜その辺りから〜
≪ 資本主義社会において、お金は絶対に必要です。私たちは、生きていくため

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08月17日(金)
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