ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4460, 99・9%は仮説、ですか〜 −2
 すべて仮想でしかないと冷めた目で周囲を振り返れば、ドラマも何もあったものではない。ドラマはつくりものだが、そっちの方が
現実と思いたいのである。 実際にカントは、対象を認識するのではなく、自分の認識が対象を決めると看破した。
ドラマはつくりもので、ストーリーを主にした抽象画のようなもの。 敢えて言えば主体的に生きていることがドラマみたいに
してくれるのである。だから主体的に生きなけれならない。人生を振り返ると、緩慢だがドラマのようにも思えるのは記憶が
ドラマ仕立てに都合よく変えてくれるから。それでもヘロヘロ・・。精一杯生きていれば、それだけでドラマになると信じたいが。
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2980,超円高社会  ー3
 2009年06月02日(火)
* 危篤状態の日本の実態            「超円高社会」 水澤潤著 ー読書日記
《第5章 政府が破綻しても日本は生き残る》の ー危篤状態に陥った日本政府ーが現在の実態を捉えるに解りやすい例え話。
 国民もマスコミも、その深刻な事態の実感が薄いようである。NHKが毎週のように土曜日などのゴールデンタイムに、
特番を組んで報道しているが・・・。頭の軽い、その辺の人が?「マスコミは騒ぎすぎだから消費が冷え込む」とかいうが、
そんな事態とは違う。 明治維新で幕藩体制が終わり、日本という国家ができた、あの節目より大きな変わり目である。
現在の日本は危篤状態の重病人。 そこに急に大嵐が来た中で重病人に、火事場の馬鹿力を出せという。そうしないと死にますよという。 
しかし、この20年近く、もう力を使い尽くして、重体になっている身。その辺を、上手い例え話で説明しているのである。(P-112)
【 ブライマリーバランスという意味不明の言葉を、おそらく多くの人が耳にしたことがあると思う。日本政府が「2011年度に回復する」
ことを公約として掲げてきていたこの言葉だが、いったいそれが回復すれば、どんな良いことがあるのだろうか。 
        「字数制限のためカット2011年6月2日」
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2616, サルトルを考えてみる  ー3
 2008年06月02日(月)
ーまずは、あるサルトル入門書に書いてあった、
 サルトル批判と人気衰退の理由の箇所を抜粋してみよう。
 *サルトルへの批判と、忘却の原因とは
サルトルの影響力は、サルトルの死後急速に低下したが、それは「構造主葉」という新しい思想が現れたことが大きい。
構造主義は、スイスの言語学者ソシュールの言語学と文化人類学などが結びつき、1960年代に作られた新しい思想である。
レヴィ・ストロース、ジャック・ラカン、ミシェル・フーコー、アルチュセールらがその代表者とされた。
構造主義は、モノではなく関係を重視するところに特徴がある。またこの思想は、主体(私)としての人間に、たとえば言語のような、
関係の網の目としての構造が先立っている、と考える。構造主義は、西欧近代哲学全体を、主体としての人間を中心とする人間主義
(ヒュー・マニズム)として批判した。またそれは、人間を作るのは歴史ではなく構造だとして、マルクス主義に代表される
進歩的歴史主義を批判した。サルトルの思想は、実存における選択を強調する点で「主体主義」「ヒューマニズム」の哲学とみなされ、
またマルクス主義を評価していた点で「歴史主義」の哲学ともみなされた。
要するに、サルトルは、それまでの古い西欧哲学の代表としてやり玉にあげられたわけである。
構造主義の後には、ジャツク・デリダやジル・ドゥルーズらの「ポスト構造主義」が話題となったが、サルトルはしだいに批判される
というよりも忘れ去られるようになっていった。デカルトやヘーゲルの哲学は西欧近代哲学を代表するものであり、批判されながらも
古典として今も読まれ続けている。ところが、サルトル哲学は、古典にもなりえない二流のものとされてしまい、ほとんと読む人が
いなくなってしまった。サルトルは、もう時代遅れの思想家なのだろうか、そして本当にサルトルを乗り越えたのだろうか、
この二つが、サルトルを見直した後の疑問である。 サルトルは「偽の知識人」を徹底的に批判した。

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06月02日(日)
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