ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4400, 隠居大学ーよく遊びよく遊べ −2
▼ 40歳になって15年ぶりにこの旅をふりかえった著者が「なぜインドに行ったのか」の質問に言葉がつまり、
その若者の後の影に、過去の自分を投影する。 (若いときの自分について)
青年は何かに負けているようだった。たぶん青年は太陽に負けていた。
そして、青年は大地に負けていた。青年は人に負け、熱に負けていた。
青年は牛に負け、羊に負け、犬や虫に負けていた。青年は汚物に負け、花に負けていた。
青年はパンに負け、水に負けていた。青年は乞食に負け、女に負け、神に負けていた。
青年は臭いに負け、音に負け、そして時間に負けていた。
青年は、自分を包みこむありとあらゆるものに負けていた。
疲れたその青年の目は表情を失っているかに見えたが、太陽にいられて眩く白熱する、
目の前の地面を、ただぼんやりと見つめ返すだけの意思をわずかに残していた。・・・・
・・・なんか知らんけど目茶目茶に何でもかんでも、負けにいったんじゃないかなぁ。最初の頃は。
(字数の関係でカット2012年4月03日)
・・・・・・・・・・
2007年04月03日(火)
「定年以降の生き方」を考える 才八∋ウ_〆(∀`●)
今年から、大量の団塊の世代が定年を向かえる。
その第一期生が、この4月から正式に大量に会社から(悪くいえば)放りだされる。「組織」から離れて「個」として、
どのように自立(自律)するかが問われる。「孤独」「孤立」した時に、自分と如何に付き合っていくかが真に問われるのが、
これからの人生である。それまでの組織内での相互依存関係の環境が、自分自身への依存になるから厳しい。
宅上犬が「明日から家の外で暮らしなさい!」と翌日から屋外に放り出されるのと同じ。勤めていた会社の価値観は、
他では全く通用しないしないことに、そこで初めて気づく。鑑札のある首輪があるうちは、誰も温かく向かえてくれるが、
首輪が外されてしまえば、誰も相手にしない。その時ただ一人茫然とするしかない。そこで手っ取り早く「定年退職者の溜まり場」に
ソソクサと出かけても、「自己を持たない濡れ落ち葉同士の葉っぱ」の絡み合いになるのは、当然の成り行き。 そこにいるのは
自分と同じ「虚しさ」を埋めにきているゾンビばかり。「人生とは何か」を考えたことのない人は、自我の先の自己が希薄である。
そこでは自我と自我のぶつかり合いになるだけ。ここではゾンビの話ではなく、定年退職後の生き方を問おうとしているのである。
面白いので、つい話がそれてしまった。 還暦になる前に10~30年かけてライフワークを確立すべし!ということ。今さら言っても
仕方がないが・・ 面白いから話を続けよう。そこでは即席でもよい、「楽しい」と思えることをやること。
その「楽しい」が何かも解らないから始末が悪いときている・・・何時間やっても疲れないものを探せばよい。 それも解らない?
じゃあ、愛玩動物ーペットが好き?なら、飼えばよい。もういる。もし犬を飼っているなら、さらに小鳥を飼えばよい。
もし持ち家があるなら家を売って、その資金で旅行三昧をすればよい。その覚悟がなければ、家の中でウジウジすればよい。
二度とない人生、最後は楽しみ尽さなければ。定年後は、年金の他に10万円の収入が理想という。年間120万円あれば、
海外の安いものなら夫婦で二回は行ける。せっかく死が貴方の後ろから追いかけてくる歳になったのだから、その死への恐怖と
危機を借りて、他人からの目や、プライド、見栄など、一度無視することである。死の前では、そんなものは霞でしかない。
限られた時間を自分の奥底の声の通り生きなくては何の意味もない。死ー無という絶対的な宇宙からみたら自分の存在なぞ無いに等しい。
だから一度独りになって、ジックリ多くを考えるべきだ。図書館があるでしょう、図書館が!それと身近にいくらでも自然が!
美術館も、いや百貨店もある。それに気づくには独りになりきることしかできない。誰かに言われそうだ。
シツコイ!同じことばかり書いている、と。定年の時期なので、ついついアウトサイダー的人生観は、これから必要になるから?
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04月03日(水)
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