ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4393,閑話小題 −つれづれに
顕著になっており、深刻という面では同じ。特に4月からの年度変わりからの予約の状況が非常に悪いのが気がかり。
「1〜2年なら何とか凌げるが、後は誰も分からない」というのが大部分の実感だろう。
3年先に、まず一棟が新潟駅再開発の道路拡張の買収予定に入っている目安があるのが救い。
 しかし大津波が覆いかぶさってきている事実は厳然としてある。 <一日、一生>の思いで生きるに丁度よいか?
・・・・・・・・・
2549, 一神教vs多神教 ー3
2008年03月27日(木)           ヾ(@⌒ー⌒@)ノおはよ?♪
 *近代天皇制は一神教か?
   まずは、この本にある、「近代天皇制は一神教か」という部分を抜粋してみる。
【 近代天皇制は一種の一神教、擬似一神教ではなかったかと、ぼくは考えています。
近代日本は一神教の欧米の脅威にさらされて、わが国も一神教で対抗するしかないと思い、京都にすっこんでいた
天皇を引っ張りだしてきて神聖不可侵の神のような存在にし、国民、特に兵士に天皇への絶対服従を強いたのですが、
日本人も追いつめられると同じようなことをしたわけです。ウェーバーがユダヤ教の神、ヤハウェは戦争神だと言った
ということはさっきも話題になりましたが、近代日本も、その前の徳川時代には二百数十年、国内的にも対外的にも戦争を
しなかったのに、明治になってから戦争ばかりやっていました。これも、天皇を一神教の神のコピーのようなものにしたことと
関係があると思います。】  (字数制限のためカット2010年3月27日)
・・・・・・・
2007年03月27日(火)
2184, 聖地と台所      オッ(*^○^*)ハ?ヨウサン!                  
  「ファンタジーの魔法空間」 ー2  著者・井辻朱美  岩波書店   ー 読書日記  
 前回、「いい場所」とは、台所と屋根裏部屋]という部分を抜粋して考えてみた。
今回は台所と聖地を同定しながら、聖地とは何かを台所とは何か考えてみよう。
 ー まずは、その部分を抜粋してみる。
ー P-41 ある場所に置かれる神像はその[場所]の指標なのである。どこに置いてあって良いというのではない。
日本なら吉の方向が定められており、マルタの台所では「一日じゅうそれが見える」場所がそれである。
神像が置かれる場所が[いい場所]ではなく、[いい場所]に神像を置くことが正しい。
神像的[いい場所]をさらにグローバル的にいったのが聖地であろう。
植島啓司氏は『聖地の想像力』の中で、その9つの条件をあげている。
01:聖地は一%たりとも移動しない。。       02:聖地は極めてシンプルな石組みをメルクマールとする。
03:聖地は「この世に存在しない場所」である。   04:聖地は光の記憶をたどる場所である。
05:聖地は「もう一つのネットワーク」を形成する。 06:聖地は世界軸で貫通しており、一種の記憶装置である。
07:聖地は母胎回帰願望と結びつく。        08:聖地とは夢見の場所である。
09:聖地では感覚の再編成が行われる。
 例えば、エルサレムは01・02の条件によって、3つの聖地になっている。トルコのイスタンブールにある
 アヤソフィア回教徒寺院はかってのキリスト教会を転用したものである。
 逆にスペインのゴルドバは回教徒寺院をキリスト教会に転用したものである。
 それをパワースポットと呼ぶにせよ何にせよ、古代人はそこが聖地であることがわかっていた。
 この聖地の条件は、台所という空間の中での、マルタでいう「いい場所」にあてはまる。
台所は大地の炎の力に結びつき(4)、ウクライナでは、そこでは大家族が一同に会し「座ったり、料理をしたり、
食べたり、洗濯をしたり、寝たり、何でもする」(6,7)ウクライナの台所とはそれ自体が聖地であるという以上に、
家そのものであり、家族にとっての全世界であった。ウクライナにとって、そこはさらに「いい場所」という中心点が必要になる。
マルタの「いい場所」もまた、それはこの世ならぬ世界の道しるべであり、みあかしに照らされた光の記憶は夢見の衝動を誘い(8)、

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03月27日(水)
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