ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4086, 本格的に始まった? 世界恐慌!
要するに、サルトルは、それまでの古い西欧哲学の代表としてやり玉にあげられたわけである。
構造主義の後には、ジャツク・デリダやジル・ドゥルーズらの「ポスト構造主義」が話題となったが、サルトルはしだいに批判される
というよりも忘れ去られるようになっていった。デカルトやヘーゲルの哲学は西欧近代哲学を代表するものであり、批判されながらも
古典として今も読まれ続けている。ところが、サルトル哲学は、古典にもなりえない二流のものとされてしまい、ほとんと読む人が
いなくなってしまった。サルトルは、もう時代遅れの思想家なのだろうか、そして本当にサルトルを乗り越えたのだろうか、
この二つが、サルトルを見直した後の疑問である。 サルトルは「偽の知識人」を徹底的に批判した。
「偽の知識人」は普遍性の番人を自称し、高みから大衆を導く気になっているが、個別的などの戦争を停止させようとせずに
ただ一般的な平和の望む、などという。 彼らは植民地の人たちを人間以下のものとして排除することで成り立っている。
こういう知識人の問題は、我々の問題である。 閉じた場所の外へ、世界へ関係するとき私たちは真の知識人になるのである。
▼ 以上だが、この批判を読むと、サルトルは時代遅れの鼻持ちならないフランス人と切り捨てられるのも解る。
人間を作るのは歴史ではなく構造だと主張し、西欧近代主義=白人中心主義自体ということを看破したした構造主義の土台に
なったことも見逃すことはできない。 現フランス大統領サルコジが、サルトルのマイナスの現象とみることも出来る。
30数年ぶりに、サルトル入門書を数冊読んでみたが、現代にも十分通じるところがある。果たして、サルトルを現代社会は
乗り越えたのであろうか? NO!であることだけは事実のようだ。構造主義と、ポスト構造主義について、今度取り上げてみたい。
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2007年06月02日(土)
2251, ビョーキな人々探訪記 ー1 才ノヽ∋?_φ(≧ω≦*)♪
ー読書日記ー
「変? ビョーキな人々探訪記」 著者・中村うさぎ・扶桑社
またまた「中村うさぎ」である。買い物依存症の中村が、他の依存症の人と語る、際どい話である。
(字数の関係でカット09年06月02日)
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2006年06月02日(金)
1886, 友、遠方より来るー2
(。・ω・)ノ☆゜+.オハヨゥゥゥ
訪ねてきた友人と話していて、37年ぶりの忘れていた昔のエピソードの中に、若い時の自分の姿が垣間見ることができた。
若いときは神経質で、プライドだけは高くピリピリしていた。振り返ってみると、家庭環境が大きく自分を支配していたのが解る。
自由になるということは、家庭環境などに植えつけられた価値観や思い込みから解き放たれることである。
一生かかって、その壁を乗り越えるのが人生である。前にも書いたが、中学の担任の先生が停年退職の祝いの同級会の二次会で、
私に悩みを打ち明けたことがあった。 「俺には、俺の人生がなかった!」と。昔の学生時代の友人とのエピソードの中に、
当時はまだ支配されていた両親の価値観や躾などから発する喜怒哀楽などに、その壁を見ることができる。
私の記憶には全く残ってないが、その友人が言うには、「欧州旅行時に、船の甲板でセーターを私から借りた。
そして返そうと手渡したら、烈火のごとく怒った。‘たたんであったセーターを返す時は、たたんで返すのがスジだろう。
それを、そのまま返すのは失礼じゃないか!」 と。今なら、まあいいや!位にしか思わないが、10才位までの家庭環境が
10人の大家族のうえに、従業員が7~8名が住み込みでいた。そのため人に対する気配りを幼児の時から仕込まれていて、
金の貸し借りは厳禁、ものの貸し借りも非常に厳しく制限されていた影響が残っていたのだろう。当時も25人の寮生活をしていて、
他人に対する気遣いが要求されていた。合気道というクラブにも入っていた。当の本人(友人)は集団生活などしたこともなく、
友人から怒鳴られたこと無かった。「その時、初めて相手に対する気づかいを教えられた」という。それ依頼、
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06月02日(土)
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