ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3999, 宇宙は本当にひとつなのか ー4
死に様が、そのまま生の完成といえるということだろう。これまでも山田風太郎の『死』について取り上げてきた。
暗いと言われるが、お経を読んでいるようで逆に安らぎを感じる。私が風太郎の死に対し一番好きな言葉がある。
「・・・いろいろあったが、死んでみれりゃ〜、なんてことった。はじめから居なかったのと同じじゃないか皆の衆」である。
この本の中にも強烈な言葉が次々と出てくる。
・信長は本能寺で死んだからこそ信長であり、西郷隆盛は城山で死んだからこそ隆盛なのである。あるゆる欲望を満喫し、
大往生した死に方は、その人の人生が誰の同情も関心も共鳴を買わないという点で、芸術的に失敗作である。
・フィリップ・アリエスの「昔の死は、人が死にいく人物を演技する喜劇的な悲劇であった。
今日の死は、人が自分の死ぬのを知らない人物を演技する悲劇的な喜劇である」を取り上げ、
これによって著者の風太郎が「人は管につながれて生まれてきて、管につながれて死ぬ」というアフォリズムを作ったという。
・「 臨終の人間『ああ神も仏も無いものか?』 神仏『無い』」「また臨終の人間『いま神仏が無いといったのは誰だ?』
答え無し。 ー暗い虚空に、ただぼうぼうと風の音」
▼ ここからはこの本(風太郎の死ぬ話)から少し離れる!
死といえば宗教学者であり東京大学教授だった岸本英夫の「わが生死観 」の言葉が深く響いてくる。
十年間の死と闘いの中で冷静に死の恐怖の心理を克明に書いている。 父の死に際をみていたので、その恐怖感が理解できた。
ーその一部を紹介してみるー
もう一度くりかえしていえば、死後の生命の存続を信じない私が、 癌というような思いもかけない病気のために、
生命飢餓状態におかれ、死の暗闇の前にたたされたのである。天国や浄土などの理想世界を信ずるものにとっては、
死後の世界は、暗闇ではない。 一つの実体である。しかも、輝かしい世界である。
しかし、私にとっては、それは、真黒の暗闇であった。私は、その絶望的な暗闇を、必死な気持で凝視しつずけた。
そうしているうちに、私は、一つのことに気がつきはじめた。それは死というものは、実体ではないということである。
死を実体と考えるのは人間の錯覚である。死というものは、そのものが実体ではなくて、 実体である生命がない場所で
あるというだけのことである。そういうことが、理解されてきた。生と死とは、ちょうど、光と闇との関係にある。
物理的な自然現象としての暗闇というのは、それ自体が存在するのではない。光がないというだけのことである。
(字数の関係でカット 11年03月7日)
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2005年03月07日(月)
1434, 滝の話
1月前になるが、「白川義員の世界百名瀑布に挑む」をNHK・ハイビジョンを見た。
再放送で見るのが二回目だが、一回目見たときと同じ位の感動をおぼえた。
よいものは何ごとも、見れば見るほど、知れば知るほど、その奥行きの深さが見えてくる。
滝、氷河、山脈、草原、断崖、海岸などの大自然に対する感動は何にも変えがたい。水には、生物が発生した
「海水」の原点がある。「生き物」のように、色いろな表情をみせるため、本能的な何かが騒ぐ。
世界3大瀑布といえば、
・ブラジルの「イグアスの滝」 ・南アフリカのジンバブエの「ビクトリアの滝」
・カナダの「ナイアガラの滝」である。 ・そして、4番目が南米のベネゼイラにある
「エンゼルフォールの滝」である。その中でイグアスの滝は、ずば抜けている。とにかく規模が他の滝に比べて桁違い。
ー以下字数の関係でカットー
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2004年03月07日(日)
1068, フランチャイズ・ショー −2
主観を込めて「面白い順」に書いてみる。
・まずは「1980円のフグチリ」を売りにしているフグ専門店。
フグ専門店の3分の1値段で、ふぐ料理の価格破壊を目指している。 味は高級専門店にまけないという。
(字数制限のためカット 2,010年3月7日)
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2003年03月07日(金)
702, 心と魂
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03月07日(水)
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