ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[394440hit]

■3940、新年にあたり ー4
 私が理解していたのは「教養=過去に蓄積された知識・経験で全て忘れた後でも残っている素養」という言葉である。
「高い人間性の背景になる知識・経験」というのが解りやすい。私など無教養を自認しているのは
「高い人間性とは、程遠い生き方をしてきた」からだ。 ( ゚д゚)ンマッ! 何故必死に本を読むかというと、
「せっかく人間として生まれたなら、可能な限り人類が蓄積してきた文化を知りたい」からである。
「教養は愛の別名」というのがある。 愛[*´ω`人´ω`*]愛
「既存の学問分野を縦断しながら、人生への愛を学ぶのが教養」というとなお納得できる。 
  豊かな人間性の背景になる経験・知識というのが一般的な意味である。  ~~匸Pヽ(・ω・`)コーヒーデモノモウ…  つづく
・・・・・・・・
2005年01月08日(土)
 1376, 日常最上
書店で「日常最上」という言葉に目が吸い寄せられた。日常の何げない生活の中にこそ、実は最上の時間である
という意味である。それに気がつくのに、何年かかったことか。この随想日記に「22・23歳の日記」を書き写してきたが、
三十数年ぶりに読み返してみると、当時の「日常の何げない些細な友人との会話や議論、そして感情の起伏や感動全て」
が光り輝いていたことに初めて気づく。現在でも日常の些細なことが全てが実は最上ということに気がつけば、
毎日が充実した生活を過ごせるのである。あの35年前に、そのことに気がついてはいなかった。
それを今にあてはめて考えてみればよい。逆に言えば、日常にドップリつかってる俗世間を否定するのではなく、
その俗世間そのものを味あうことがも必要である。以前読んだ本で、印象的な内容があった。
「神様に過去の、ある一日に戻してあげる」と言われた人が、昔のある日に戻ったという。
両親・兄弟がいて幼馴染の友達がいて、何げない全てが光り輝いていた。何故その時、それに気がつかなかったというと、
「どうでもよい事」ばかりに気がいっていた為だった。日常最上は「生きていること、そのこと」が素晴らしいということである。
悩みも、恐怖も、不安も、怒りも、全てが最上ということに、気がつくことである。
「生まれてこなければよかった!」なぞ言語道断である。そう思える人が多いが。他人から見たら、そう思われているのだろうが。
・・・・・・・・・
2004年01月08日(木)
 1009, 心を軽くする言葉
何気なく図書館で借りてきた本を読んでいたら,ある項目にこの言葉があった。そうそう手軽に「心が軽くなる言葉があるのだろうか」
と思いつつ読んでみて、ナルホドと思ってしまった。この随想日記も考えてみたら心を軽くする効用がある!を軽くする映画シリーズは
「男はつらいよ」であるが、少しテーマから外れる。私自身にとって「心を軽くする言葉は何だろうか」と考えてみた。
「何とかなるだろう、何とかならなくなったら、何ともならないでよい。ただ問題の中心点からは眼はそらさないこと、
最善を尽くすこと。何があっても卑しくはならない事、そして人を騙さないこと」ということか。この本の中で、ある女性には
魔法のような呪文があるという。引用の引用になってしまうが。「どうにもならないことは、どうでもいいことだ」
この一説を目にしたとき、スッと肩の力が抜けたという。努力のかぎりを尽くしたのに成果が出なかった。
といって、誰かを傷つけた訳でなし、死んだわけでもない。どうしても必要なものなら何とかなったはずだから、
どうにもならなかったことは、それだけのものでしかなかったのだろう。これがその人の解釈だという。
本人にとって正しく魔法の呪文だったのだろう。この文章を書いていて、気がついたが今実行している「ありがとう」という言葉の
呪文こそ「心を軽くする」言葉である。ウォーキングをして、1千あたりからスッと気持が軽くなるのが解る。 
 この本では、シンプルな例として 
・「時間はすべてを解決する」
・「小さなことは気にしないことだ。そしてすべてのことは小さなことだ」があった。
 ところで、この不景気ほんとうに心が重くなる。心のレッスンと受け止めて、日々過ごしているが。 
・・・・・・

[5]続きを読む

01月08日(日)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る