ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3900, 精神力ーその偉大な力 ー1
以前、一度借りてきた「ほめ芸王」を、再び借りてきた。前に読んで、チャンスがあったら可能な限り褒める
ように勤めようと思っていたが、これが難しい。家内を対象に褒めるように勤めているが、馬鹿馬鹿しい。
というわけで、いま一度借りてきてジックリ読んでみた。 funn~(。_。)q
以前借りてきた時に印象的だったのは、
・褒めるのは芸・技であるから、自分流のノウハウを確立すべし、
・褒めれば、神の心になれるだった。褒められれば、舞い上がってしまうのに、
人に対しては気楽に褒めようとはしない。ー必然性が無かったからだろうが。
だいたい酒席で、酒を注ぐときは自分が注いで欲しい時だ。自分が褒めて欲しい時に、人を褒める。
-字数の関係でカット(2007年11月29日)
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2004年11月29日(月)
1336, 2000年前のポンペイー5
一昨日のNHKスペシャルで「ポンペイ」を特集していた。落書きを切り口に番組みを構成していたのが、新鮮であった。
たまたまポンペイについて書いていたので、その偶然の一致が奇妙な気分である。2000年前の生々しい人間の心が、
落書きの中に出ていた。話は少し逸れるが、エジプトのルクソール神殿の遺跡の壁にあったレリーフに兵隊の絵があった。
同じ絵が多く描かれていたが、現地の日本人の女ガイドの説明が面白い。 その兵隊うちの一人だけが、ところどころ
逆向きに向いているのだ。当時の多くの職人の一人が、命をかけて?わざっと逆向きに彫ったという。いつの時代でも、
そのような遊びがあった。それよりも、数千年の時空を超えた男の生身の人間的なジョークを伝えているのがよい。
ーその番組みで紹介していためポンペイのメモには
・〔私と貴方が一緒に踊ったことを憶えていて、訪ねてきてくれてラブレターを
置いていってくれた〕返事が壁に書かれていた。
・隣近所のお知らせー人々は回覧板かわりに壁を使ってコミュニケーションをしていた。
・現在の通りの商店看板と殆ど同じものが、当時のポンペイの街にもあった。
・ポンペイの街には400軒の店があった。 24時間営業の居酒屋があった。
その居酒屋の奥の部屋でゲームと会話をしている絵が残されていた。
・食料品店の壁には、掛け売りのメモが書きこまれていた。家計簿的なメモもあった。
・果物屋には桃が売られていたメモがあった。 等々である。
メモから、当時の変化がうかがい知ることが出来るという。
当時のローマ帝国の政策の大きなものとして、パンと、サーカス(街には必ず円形劇場がつくられていた)を庶民に
与えることであった。AD・54に17歳で皇帝になったネロが、その政策を更にエスカレートさせていった。
そのためか、贅沢の限りをつくす考えが一般にまで浸透を始めていた。
その頃のメモに〔今を楽しめ〕というのがあった。それがエスカレートしたのかタブーのメモもあった。
・下品の言葉を慎むように
字数の関係でカット(2011年11月29日)
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2003年11月29日(土)
969, 幽霊店舗
昨日、初めて聞いた言葉である。 それが「幽霊店舗」である。一瞬何のことか解らなかったが、
次の瞬間に直ぐに理解した。 「経営者が夜逃げか破産をした店で、店舗のオーナーか銀行が、
既存の従業員にそのまま営業をさせて、間接管理をしている店」でないかと。
(字数制限のためカット10年11月29日)
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[242] ゼネコンー2
- 2001年11月29日(木)
同じ見積もりでも、3〜4割の値段が違ってくる。平気で目の前で2000万・3000万、いや数億の値引きをする。
普通の感覚の世界とはかなり違った世界である。今の不況の原因をつくったのは、ゼネコンの存在が大きいといってよい。
日本的特質がそのまま現代的に残っている。この30年近くはゼネコンの付合いを欠かせたことがなかった。
社会勉強をその世界を知る事で,たっぷりさせてもらった。悲劇、喜劇の渦巻く世界でもある。しかし男の世界でもある。
新しい創造に携わるからだ。よしやるか!という決断から、彼等との付合いが始まる。彼らのシステムに現場主任(現場代人)
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11月29日(火)
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