ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3889, 積極的逸脱 ー2
ー彼女は、ここで次にように述べている。
「幸福は心の持ち方の問題で、外見から他人が判断できるものではない。
私は、盲・聾・唖の障害者でも、世間の常識に反して自分は幸福である、という考え方を信条としている。
どんなに幸せそうに見えても、本人が幸せと思っていなければ、その人は幸せではありません。
(字数制限のためカット2010年11月18日)
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2006年11月18日(土)
2055, あたりまえなことばかり −9 読書日記 (~Q~;) おはよう〜〜
自分とは何、これは考えても考えても尽きぬ問である。孤独という実感の先にある「宇宙の真っ只中に浮いている意識」
が真我であるのか? 以前も書いたが、「禅」の字は「単を示す」と、新井石龍禅師が語っていた。
「宇宙に誰もいない、ただ一つの生命」これを実感するのは死期を悟った時。
これが苦しいのか、苦しくないのか経験したことが無いので今のところ解らない。
恐らく、あのバンジージャンプの板の上に立った実感が近いのだろうが・・
しかし、あの落ちていく瞬間の覚醒の意識が最後の見納めとして周囲を見渡す時のそれなのであろうか。
私の場合の「私」は、このHPそのものである。このHPの先にいる得体の知らない「これ」である。
デカルトのいう「考えている、『!』『?』」である。たしかコギトと表現していたが・・考えている、思っている、
思い出している、想像している、これであるー> ( ̄ω ̄;)!!エッ `s(・'・;)エ-トォ? .. (^┰^;)ゞオレ馬鹿 ?
(゜_。)?(。_゜)? (>△<‖)ワカラネ〜 (−◇ー;)!! ソウカ(・_・ゞ−☆ (/--)/ ドウデモ
ー孤独とは苦しいものなのか −
*自分とは何であろうか
たとえば、自分とは自我でなく、この肉体でもないとしたら、同じ理由によって、他者とは誰のことであろうか。
他者もまた、その自我でもその肉体でもないとしたら、孤独の癒しとして求められるような他者とは、自明なものだろうか。
孤独であることは、苦しいことと感じられるほど確かなものであり得るのだろうか。自分とは「何であるか」、
他人や社会によって知ることができないと知ったとき、人は自我の向こうに自己をもとめて、船出することになる。
(字数の関係でカット、2009年11月18日)
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2005年11月18日(金)
1690, 僕が最後に言い残したかったこと
ー読書日記
「銭道」などのシリーズで売れっ子漫画家の青木雄二の本を手にしたら、彼の遺書代わりの本であった。
死を直前に書いた本で迫力がそのまま伝わってくる。 (二年前に死亡)
図書館で何度か、この人の本を手に取ったが借りる気はしなかった。金に関して素人向きの内容だからだ。
現に、この本もそうだが、死を前にお金と人生の関係をシビアに表現しているところが面白い。
私は、両親からお金について幼児の頃から話を聞いていた。
耳年増であるが、特に父の死の直前に教わったことは 現在の私の金銭哲学になっている、
§ d^^b
┃ ^namu
Э ∬∨∬ (^┰^;)ゞ
┃(〜∞〜)
┃( 人 ) ・お金は自分で稼いでこそ価値がある
ノ ハ ・使う楽しみを知らなくては稼いだ価値がない
・あの世には持っていけないもの、使うべき時に使うからこそ金の価値がある
・自分で事業をみつけ、それを楽しめ。 そのカスがお金として残ってくる。
・:*:`☆、。・:*:`★
*この本でなるほどと感じたところを書き出してみた*
ー最後にこれだけは言っておく。金は貯めるために存在するんじゃないで。
時間を有意義に使うために金はあるんやで。そう、金は使うために存在するんや。
死んでしまってからは使えんのやからな。それが僕の偽らざる実感や。
ー忘れてならないのは、お金自身に価値があるのではない。
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11月18日(金)
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