ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3819, つれづれに
それを普段の生活の中でしてないから、内面の対話が出来ない。だから、何かあるとすぐ携帯電話で相談するしかない。
事態を多角的に見ることや深く掘り下げることなど、彼の世界には存在していない。
携帯は会話しか成り立たない。内面の対話をした上で、それを相手に投げかけをしあうのが対話である。
ー石原はここで以下のように述べていているー
ー最近、問題になっているエンコーなどの新しい風俗の正当化(?)のために作られる言葉の醸し出すヴァーチャルなイメージは、
ことの本質を外れた価値判断を容易に導き出す。内質の空疎化とは想像力の枯渇であり、無個性化による自己喪失画一化であり、
人間としての尊厳の喪失の繋がり社会そのものの活力を失わしてしまうーと警告している。
現在、中高等学校の生徒の間で人気のある生徒の評価の指標が勉強やスポーツの能力ではなく、ただ携帯電話が鳴る頻度と、
いかに多くの連絡相手が登録されているかにかかっている現象は、人間関係における本質の変化を暗示している。こうした浅はかな
人間関係が何ももたらさないことを、彼等は解っていない。そんな交流の中では本気にお互いを預けあい頼り合うことができるだろうか。
ーー
そういう私も一日数時間もパソコンに向かい、家ではTVを3時間は見ている。情報の多くは、ITから得ている。
それから入ってくる情報は、実際のところ生の人間からも質も量も格段に上である。
だから困ったものである。この随想日記で書いている内容は、私の脳の多くの部分を占めている。
実際に会って話すより、より自分の言いたいことが顕わに書いてある。 といって、それが私の全てではないし、
誤魔化しも、虚構もある。やはり、情けの報せとして直接会わなければ伝わらないことがある。
−−
また、この中で触れられているホーキング博士の発言の部分が面白い。
石原慎太郎がホーキング博士の講演に行った時「地球ほどの文明を持った惑星は、どのくらいあるだろうか」という質問に
「二百万ほど」という答えがあった。それに対して、「それほどの数があるのに、どうして他の惑星の生命体を目にすることが
ないのだろう」と質問があった。 その答えが、「現在の地球ほどの文明を保有してしまうと、そうした惑星は自ら正当な
循環を狂わせ環境を破壊しつくし、文明の主体者たる生物は内面的にも極めて不安定な状況をきたして、彼らの惑星は宇宙の
時間の総体に比べればほとんど瞬間的に自滅してしまう」というという答えであった。終末論や環境論として興味深いものである。
ーー
以上が概要だが、情報化は基礎教養の蓄積があってこそ、
仮想と虚妄の世界に漂う現代人は、自分という存在さえ仮想と現実の境が無くなっている。
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2004年09月09日(木)
1255, ダイエットに100万円賭ける ー2
(以下、字数制限のためカット09年9月9日)
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2003年09月09日(火)
888, バックナンバー 2
バックナンバーを見ながら、今まで書いてきた随想日記を総括してみる。まずは読書日記や映画日記の感想文。
あの時、あの本を読んでこんなことを考えていたのかがリアルにわかる。日記は未来の自分に対して書くものだということが、
一番わかりやすい事例といえる。 映画もそうである。感想文を書いてないと、単なる娯楽で終わってしまうものが多い。
それはそれでよいが、文章化をきっちりしていると、自分のメルクマールとなる。 また映画日記を書き続けていると、
映画の見方が変わってくるのが解る。その世界に意識的に飛び込みと同時に、冷静な目が養われているのだ。
日記としての追悼文も姉と両親には書いていたが、親戚や友人の場合も書いた方がよいことに気がついた。
故人に対して一番の供養になる。こうして書いていると、いかに毎日つまらないことに振り回されている自分に気がつく。
それをいつの間にか鳥瞰してしまう作用が書いていて解る。人が見ていたら、こんな面白いものはないのではないか。
他人の内面の棚卸と陳列変えと改築を傍観しているようなものだ。また誤字なども冷静に見れるからだ。
一番面白いのは実は自分だが。
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09月09日(金)
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