ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3764, ユング ー7
その追悼文を書いていたとは! 中島にしては、前半はシンミリとした感じであった。何か自分に劣らない奇人の死に
戸惑っているようだった。中島は池田を哲学者と認めてないようで、哲学者でも哲学研究者でもなく、著述業として切り捨てている
ところが、彼らしい。昨年から池田晶子にはまってしまっているが、亡くなったことで更に、もう一歩踏み込んでいる。
とにかく根源的で、純粋であるのがよい。その彼女の姿を中島がどの様に見ていたかを知るのは面白くないわけがない。
哲学者の間では彼女は無視された存在であり、著述家としてしか、見られてなかったようだ。
哲学者にとっては哲学用語を一切使わないのは、それだけで、相手にされなかったのだろう。
初心者向けに絞って、哲学みたいな文を書いている女とみられていたようだ。
前半は、中島が見た池田の哲学学者仲間としての心象。 後半は、中島独特の批判で構成されている。
まずは、前半の中島の彼女の心象から・・・
ー 月刊・新潮45?2007年・5月号ーより P-152
ーー
池田晶子さんが亡くなった。四十六歳の若さである。新聞報道は三月二日の読売新聞が最初だが、
私は翌三日の朝日新聞社会面で知った。昨年末、新潮社の編集者と忘年会と称して呑んだとき、
彼女が癌を患っていることは聞かされていた。その口ぶりから、末期ということはわかったが、
こんなに阜く逝くとは思わなかった。ショックはないと自分に言いきかせていたが、その日大学にいても
彼女のことばかりを考えて過ごした。いままで意図的に避けてきたが、ある種の独特の形で哲学に
携わった彼女に対する自分の気持ち(評価)をごまかすことなく語ってみようと思う。
池田さんとは四、五回会っている。はじめは十五年以上も前のことであるが、(いま慶応大学の教授である)斎藤慶典さんが
「おもしろいことを書く人が後輩にいるから」と「大森先生を囲む会(略して「大森会」)」に連れてきたのだ。
池田さんは例会の日に、教室の入り口でそっとお辞儀をして入ってきた。そのころ彼女は三十歳位であり、
とびきり美人であることは誰の眼にも明らかだったが、そこにいた参加者たちはまったく無視していた。水玉の(?)袖が長めの
白っぽいワンピースを着ていたように記憶している。池田さんは、当時まったく哲学仲間のあいだでは知られておらず、
まだ本を二冊書いた程度であったから、世間的には、ほぼ無名であった。そこには、永井均、野矢羨樹、飯田隆、丹治個治・・など、
いまや日本哲学界を担う人々が決集していたが、当時彼らは哲学界という狭い世界の中では評価されていたが、
誰も世間的には有名ではなかった。
永井さんが有名になったのは『〈子ども〉のための哲学』あたりからであり、それが講談社のPR誌『本』に掲載されて
いたとろから評判であった。そして、一九九五年の夏に『ソフィーの世界」が大ペストセラーになると相前後して出版界は
「哲学ブーム」という軽薄な掛け声と共もに浮かれ出し、池田さんの『帰ってきたソクラテス」(新潮杜)、
永井さんの『ウィトゲンシュタイン入門」(ちくま新書)、木田元さんの「反哲学史」など、それぞれ部数を仲ぱした。・・(中略)
(字数の関係でカット 10年07月16日)
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2006年07月16日(日)
1930, 二つ目のブログ
( ̄▽ ̄;)!! オハヨウ!
新しいブログを二つ開設した。一つは、このHP上に貼り付けてある海外旅行の写真ブログ。
(字数の関係でカット 09年07月16日)
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2005年07月16日(土)
1565, 新潟駅周辺再開発が動き出す
ここにきて、新潟駅再開発が本格的に動き出した。昨日(7月15日)、近くの市民会館で住民説明会が開かれた。
一時間あまりであったが、400人位が来ていた。同じ内容で、この数日で6回も開かれるという。
当社のホテル4棟のうち2棟が駅東線道路の拡張に引っかかり、更に200坪の駐車場が明石紫竹線道路に面していることもあり、
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07月16日(土)
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