ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3705, ジャズについて −4
現在は、ラジウム温泉をきっかけに、ラジウム小物に凝っている。 その小物とは
・フランチャイズ・店舗ショーで買ってきたラジウム石の‘ネックレス’と、以前取引先から貰った‘ブレスレット’、
(字数制限のためカット2011年5月18日)
2004年05月18日(火)
1141, 「ライフ・レッスン」 ー最終レッスン
最終のレッスンになったが、何ごともレッスンとみれば世の中の出来事はすべて意味があることになる。
過去を振り返ってみても、すべての出来事は意味があった。ならば、毎日の出来事にレッスンの意味を見出して学び生きていくこと。
この世は、意味を見出す為に、感動する為に、愛する為に、全てを学ぶ為にあることを、この本からレッスンした。
毎日は「バカの壁」を乗りこえるための学校と思うとよい。「秘境ツアー・レッスン」「事業レッスン」「挫折レッスン」・・など、
いろいろ書けそうだ。 各章を書き続けて、多くを内省した。人生から学ぶことがあまりにも多い。
ー最終レッスンー からの抜粋
・わたしたちは、自己の長所をしり、たがいの美点を見つめあい、生きていることの奇跡を讃えあうために地上に生まれてきた
ことを、思い出す必要がある。試練に揉まれて人は甌穴のなかの岩に似ている。 穴のなかで川の激流にもまれ翻弄されているうちに、
角がとれて磨き上げられて、以前よりまるい希少な岩になる。穴から出てきたときには、 もっと大きなレッスンを学び、もっと大きな
人生を生きる準備ができている。すべての悪夢は祝福に変わり、それが人生の一部となる。人生は『なにが大切か』を、
『本当の自分とは何か』を教えてくれる。「おわりは逆向きのはじまりにすぎない」のだ。
『生がいいものだとわかれば死もいいものであるはずだ。生も死も、同じ名匠の手によってつくられたものであるからだ」
・海のそばに住んでいる人はたくさんいるが、しみじみ海をながめ、海を味わい つくす人はほとんどいない。
ほとんどの人は空の下に住んでいながら、星をながめようともしない。わたしたちは本当に人生にふれ、味わい、
堪能しているだろうか? 平凡の中にある非凡なものを,感知しているだろうか。毎朝、目がさめるたびに、あなたが経験すべき人生を、
もう一日だけ与えられているのだ、といってもおなじことだろう。 その一日を、あなたが最後にフルに経験をしたのはいつだっただろう。
・いまの人生とおなじ人生は二度と手にすることはできない。この人生ではたしてきた役割をもう一度演じることも、
もう一度これまでと同じように人生を経験することも、二度とない。
・あの両親のもとに生まれ、この家族を持ち、このこどもに恵まれ、
この環境、この状況のもとに生きてきたように、この世界を経験することは、もう二度とできない。
・おなじ顔ぶれの友人をもつことも、今生の生かぎりである。 あの海、あの空、あの空、
あの愛する人を、最後にもう一度だけみたいと願うようになるときまで待つ必要はない。
・・・・・
2003年5月18日
774, 30歳の頃(1976年)
この年は本当に大変な年であった。その半年前に、新潟県長岡市駅前通りの繁華街の四角で衣料量販店をしている
実家の店に戻っていていた。本店は当時6億の売り上げを上げていた。 家族内のトラブルで急遽、千葉の千城台で貸しビル経営と
(養老乃滝+焼きたてのパン屋)を経営委託にして、帰ってきたところであった。 仕入れに、販売に、新人の教育にと、
いま考えてもよくやったと思う。体が浮いているようでもあった。新卒を13名入れ、その戦力化に必死であった。
衣料品は博打的要素が多い。季節要因により、在庫の調整をしたり、流行の筋を早く見つけ一瞬で売り抜けなくてはならない。
岐阜・大阪・広島・岡山の産地を情報を頼りに現金を持って走り抜ける。それも全く経験のない自分が、買い付けるのだ。
よくやったと思う。必死とは不可能を可能にする。目を吊り上げ、無我夢中で必死に仕事をしていた。
何ごともコツというものがある。それは必死さの中から初めて掴む事ができる。
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05月18日(水)
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