ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3582, 65歳か〜!
昨夜は、一日早い誕生祝いをスナックでしてきた。以前は祭日だったので、一人でたまたま開いているスナックに
飛び込むのを、楽しみにしていた。誕生日というと、祭日で暇なこともあり歓待をしてくれた。それが狙いなのだが。
−−−
書き終えてから、数年前の随想日記を見ると、ほぼ同じ日記が書いてあった。
毎年同じ感想というのも馬鹿みたいといえば馬鹿みたいなものだ。しかしメルクマールにはなっている。
・・・・・・・
2004年01月15日(木)
1016, 58歳の誕生日
あと二年で還暦である。もうこの年になった!というのが実感である。
60歳までに、60歳以降の余白を全て埋めてしまう生き方をしようと50歳の時、決心をした。
「10年で30年分を生きる」が、それからのコンセプトになった。 そして8年が経つ。
実際のところ、そうしてきたかというと自信はないが、そう思って生きてきたことは事実である。
「海外旅行を50回を60歳まで」にと目標としたのも、その一つである。この随想日記もその一つだ。
60歳を過ぎてからというのが一般だが、約三年前1千を目標にして、昨年の暮れに達成した。
言い残しておきたいことは殆ど書いてしまった。あと二年で730日分書けば?もういいだろう。
父が58歳の時、私は中学二年生だった。その頃、50代後半は凄く年寄りに見えたものだ。
恐らく若い人から見たら、そう見えるのだろう。 年齢を重ねると、マイナスだけでなくプラスも同じくらい
あることも知った。若い時と違った充実をした日々を過ごせるのだ。経営をしていると心休まる日は少ない?が、
といって毎日の内容が濃い。 この年齢の風景を見てみると、
・10〜15パーセントの同級生が亡くなっている。
・私の両親の兄弟姉妹と連れ添いは9割以上亡くなっている。 いとこは4割、兄姉は9人中4人亡くなった。
従兄弟で現役で働いている人は一割もいない。 兄姉で働いているのは、兄夫婦と私だけだ。
同級生では、男では定年か廃業の直前の人が殆どだ。生老病死とは、よくいったものだ。
生き、老い、病んで、死んでいくのだ。 それを苦しみと捉えて解決法を説いたのが仏教だ。
といって死ぬまでは生きているのだ。楽しみは無限にある。「日々是好日」の意味の深さが解ってくる年代に入った。
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2003年01月15日(水)
647, ハッピーバースデー
おめでとう〜 *<( ・∀・)ノ□☆□ヽ(・∀・ )>*
ツアーで、ホテルのレストランで食事をしていると時おり人だかりができる。 宿泊客の誕生日に、
レストランのコックやボーイが全員集まってケーキに火をつけハピーバースデーを歌っている。
小さいレストランの場合は全員が合唱をする。何とも心が和むひと時だ。
そして本人がケーキを持って、各席に持って回って配るのだ。
キリスト教徒の誕生日に対する思い入れは、日本人と比べるとずっと強い。
それはキリスト教の教えにある。神から頂いた生命の記念する日に、その場に居合わせた人は神の意思である。
従って祝うほうも心からその人に祝福する。またケーキもその祝福として、お互い分け合う。
与えるほうも貰うほうも目出度いのだ。あの暖い雰囲気には、キリスト教の教えの背景がある。
数年前までは1月15日は休日であった。その誕生日には一人で飲みに出ることにしていた。
それも入った事のない店に飛び込む事にしていた。この日だけは家内は「一人休日に飲みに出る」に文句を言わない。
休日のために殆どの店が休んでいるが、飛び込みで入って誕生日で特別に飲みにきたと話すと歓待される!
勿論それを狙っているのだが。これを年中行事にしていた。「その日が休日だから面白い」のであって、
いまでは家に大人しく帰る? 勿論今日も会社から貰ったケーキを持って!
誕生日ほど自分と第三者の差が大きい。子供の頃の家庭では「正月に一度に祝うのだから、
誕生祝の必要はない」と一切やらなかった。勤めていたときや、以前の会社では朝礼で
全員でハッピーバースデーの歌を歌いケーキを贈り、寄せ書きをしていた。
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01月15日(土)
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