ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[394986hit]

■3555, 哲学的ジョーク
ー他にも、すばらしい作品が多くある。 人の心は、弱く儚いものだが
 ーー
ねぇあなた、哀しみの次には楽しさが来るんだよ。もう一度頑張ってみようよ。先日、満員電車で、席を譲られてね、感謝したけど、
何故か心に、空席が出来たよ。あなたがいないから、泣いていたんじゃないの、私もいないから、泣いていたの。            
虹が出た時、土筆の顔が見えた時、今年初めて燕を発見した時。何だか幸せ。      
「喜び」はきっと一人じゃ作れないよ。だって一人じゃうれしくないじゃん。     
・・・・・・・
2004年12月19日(日)
1356, 梅の花ー2
部屋は六畳ぐらいの大きさで、机の下が掘りごたつ風になっている。
メニューは、湯葉煮、茶碗蒸し、豆腐のけんちん揚げ、黒豚と季節野菜の豆乳しゃぶしゃぶ、
豆乳リゾッテ風、シャーベットである。食事が終了するのに、一時間半はかかった。
挨拶に来た、マネジャー風の人の話によると「昼客の殆どが女性のグループで、11時過ぎに来て2時近くまでいる。
その為お客はあまり回転をしない」とか。最短で1時間半かかるのだから、女性客はそれだけ居座るだろう。
いま流行の、スローフードの典型である。「郊外型、高級料亭ふう京料理のスーパーストア廉価店」といえる。
    (字数制限のためカット 2010年12がつ19日)
・・・・・・・・ 
 2003年12月19日(金)
989, 軽井沢の思い出
 現在書いている随想日記に「軽井沢」のことが頻繁に出てくる。 記憶の彼方のことが、今更のように思い出される。
大学二年の秋に、隣の部屋の先輩から「OBの先輩がペアレントをしている軽井沢の山荘」のアルバイトに誘われた。
丁度、学生時代の生活に慣れて、寮とクラブだけの生活に辟易としていた時期で、丁度よいタイミングであった。
仕事といえば、食事つくりと、掃除と、宿泊客の夜の遊び相手である。 若い女性が殆どで、フォークソングを一緒に歌い、
ゲームをしたり、話相手になる。初めての経験で夢のような毎日であった。卒業するまで連休や夏・冬休みに二年間ほど行っていた。
 早朝の朝もやの中、宿泊客とか同じヘルパーの女学生と散歩をするのが一番の楽しみであった。並木道の木が重なり合っている
「愛のトンネル」いや「「愛の小道」という絵に出てくるような場所もあった。周囲は別荘や池やホテルなどがあり鳥のさえずりや
雉の鳴き声が聞こえてきて、幻想的な小説の主人公になったような世界。 そこで仲が良くなって東京で会ってもTPOSが違うのか、
一度で夢破れたことが何回かあった。夢は夢にしておくべきということを何度か再確認をした。 
また久々に会う女学生が嬉しそうな顔をして走りよってくる姿が、何ともいえない記憶として残っている。  
何で誰とも結婚しなかったのだろうか、不思議で仕方がない。両親の縛りから抜け出せなかったのだろう。いや??!
まだ受け止められるだけのものが無かった。 ところで話が変るが、そこの名前は「友愛山荘」であった。
旧軽から歩いて7〜8分のところにあった。政治家一族の鳩山家の政治団体「友愛」が、ボランティアで運営している
ユースホステルであった。今はもう「鳩山家」の別荘に変っている。 そのペアレントー山荘の責任者が、学生寮の先輩で
「三浦満さん」あった。結婚したてで、奥さんが明るい人で「波子さん」と言われて皆に慕われていた。一歳の赤ちゃんがいた。
夜の「お遊びタイム」の後、三浦さんと酒を飲みながら政治や哲学など話すのも楽しみだった。
{ユースホステルでは、宿泊客をホステラーといい、アルバイトをヘルパー、マネジャー役の夫婦をペアレントという。}
 大学を卒業をしてから10年位の間2年に一度は遊びにいっていた。また私の結婚式には三浦夫妻に出席してもらった。
「海外旅行」「葉山」「留学」「軽井沢」「外車」ゼミ」などの言葉は学生時代の私の世界では、特別の響きがあった。
友人の何人かは外車のアルファロメオやフォルクスワーゲンなどを乗り回していた。
貧乏(寮生活)と金持ち(欧州旅行で知り合った友人)の狭間で、目が回るような日々であった。

[5]続きを読む

12月19日(日)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る