ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3529, ハーバード白熱教室 ー1
他ならないからである。「存在しないこと」としての死は、意識そのものには存在しない。
「存在しないこと」という観念が存在するのでなくては、人には、死ぬということはないのである。
言葉の抽象度が高すぎるので、いくらか具体的に考えてみたい。生まれて初めて人の死に出合うのは、誰か他者の死である。
自分の死に出合うことはありえないから、人は他者の死に出合う以外ない。
おそらく、幼少の頃、誰か身近の人の死を見る。 「死を、見る」     ( ̄▽ ̄)■]~~~ 珈琲TIME♪
しかし、ここでは細心の注意をはらって考えたい。人が死を見るのは「死体」であって、「死」そのものではない。
「存在しないこと」であるところの死が、目に見えるわけがない。 見えるのは物質としての「死体」なのである。
しかし、多くの人は、この両者を混同する。死体を見たことによって、死を見たと思うのである。  (~Q^(^┰^;)ゞ
当然である。「存在しないもの」としての死が、存在するものとして見つかるわけがない。
こう考えると、自分の死だけでなく、他者の「死」もまた「存在しない」。そもそも存在しない死に対し 
「死」と名づけたことにより、死は存在していることになったというのが真相なのである。
                         死(0_0)〜† 死っし "ゞ(`')
死とは言葉以外の何ものでもないのである。死が存在すると信じ、死への恐怖に追われて生きてきた我われにとって、
こんな、その意味で馬鹿げた事態は納得できないかもしれない。 しかし、「無」を言語化した刹那、あたかもそれでは、
無が存在するかのようになるではないか!我われの日常は、事の初めから、存在と言語の共犯的奸計に巻き込まれて進行。
ふとそのことに気づき、存在と言語の外へ出る道はないことも悟った時、逆に人はそれを自覚的に生きようと
構えを変えるはずである。わかりきったと思い込んでいた生と死の日常が、いかに摩訶不思議なものであったか。
その意味でそれは新たな誕生、生の再生になるのではなかろうか。       (*⌒ヮ⌒*)ゞ  バイ!
 ・・・・・・・・
2005年11月23日(水)
1695, 辺境へ −1   ー 読書日記
 素人の身として辺境へは、ツアーでしかいけないが、「辺境・秘境」をキーワードにして、この十数年近く アフリカ、南米、
シルクロードなどを家内と共に行ってきた。図書館にあった、「辺境へ」−大谷映芳著ーはもう5~6回以上借りてきて読んだ。
 そして、ついにインターネットで新・中古本だが、買ってしまった。 写真も、文章も体験をそのまま書いてあるので、
心に直に迫ってくる。この本で、著者が一番思いの深いの7ヶ所を紹介している。チベット・ヒマラヤを除いた5ヶ所
 訪れているので、私にとって非常に魅力のある内容で、何回読んでも飽きることはない。        
   まず著者の大谷映芳の「内容紹介文」をコピーしてみる。  
 ー「ニュースステーション」で、高視聴率を獲得した“秘境ドキュメント”。
  ブータン、ギアナ高地、ドルポ、アフリカ大陸グレート・リフト・バレーなど、その取材は、全世界の秘境と
 言われた地域に及ぶ。今は亡き冒険家の植村直己や夭折した写真家・星野道夫、グレートジャーニーの関野吉晴氏ら
 その旅の思い出とともに、こうした世界の秘境エリアをレポートしてきた著者が綴る紀行と貴重な写真を多数掲載した写文集。
  ーこの本の7ヶ所とは、   w((´ω`))wワオッ!!
 ヒマラヤの王国ブータン/ 南米大陸のギアナ高地/ 南米パタゴニア/ 西ネパールのドルポ/ アフリカ大陸の
 グレート・リフト・バレー/ 北極圏のグリーンランド/東チベットのヤルツァンポで、写真とともに紹介している。
 その写真が素晴らしい。また人々との出会いなどが中心に書かれているのも特徴。
 現地で出会った人々の話や、亡くなった冒険家の植村直己さん、写真家・星野道夫君、探検家の関野吉晴さん等の話も面白い。           
  ー彼のこの本に対するコメントも良いー

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11月23日(火)
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