ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3451, ニューカレドニアの休暇 −1
シェーンブルンの意味は「美しい泉」である。
その名を持つこの宮殿は、女帝マリア・テレージアをはじめ、その娘マリ-・アントワネット、
皇帝フランツ・ヨーゼッフ1世、皇女エリザベートなど、パプスブル家の人に愛され、光栄ある時代を今にとどめている。
そのきらびやかな部屋からは、華麗なる彼らの生活が蘇って見えてくる。 その幾つかを書いてみると、
・ナポレオンの部屋
1805年、1809年の二度、ナポレオンがウィーンを占領した際に居室として使用していた部屋である。
18世紀の軍隊生活を描いたブリュッセルの 写実的なタベストリーが部屋を飾ってあった。
・マリー・アントワネットの部屋
マリア・テレイジアの娘であるアントワネットが、フランスに輿入れをするまで
殆どをこの宮殿で過ごした。 その後はダイニング・ルームとして使われていた。
・鏡の間
1762年に、当時から神童として名だかかったモーツァルトが、マリア・テレージアの前で初の御前演奏を行なった場所。
そこで演奏後、けつまずいたモーツァルトを助け起こしたのがマリー・アントワネットであった。
・漆の間
マリア・テレージアが亡き夫を偲んで改装した部屋は濃茶の漆塗りに金で描かれた花鳥や東洋的な
風景が壁一面に覆っていた。そこにはフランツ1世や、ジョセフ2世などの肖像画が飾られていた。
そこでマリア・テレージアが夫の思い出に浸っていたという。
ー聖シュテファン寺院 Stephansdom
市内中心部にある大きな教会。塔は一部修復中であったが、屋根の模様は見ることが出来た。
エレベーターで、その屋根の上まで昇ってみてウィーンの街を見下ろしてみた。
その後、ケルントナー通りの聖シュテファン寺院から国立オペラ座あたりまでを ぶらぶらと歩いてみた。
・・・・・・・
2003年09月06日(土)
885, 遥かなるアルゼンチンタンゴ
先日、NHKのBSTVで「遥かなるアルゼンチンタンゴ」の2時間番組を放送していた。
昨年末にアルゼンチンに行って、本場のアルゼンチンタンゴのショーに感激した余韻が残っており
丁度よいタイミングであった。 (感想文は後にコピー)
番組はアルゼンチンタンゴの歴史や由来、超一流のタンゴの踊りを交えた内容の濃いものであった。
アルゼンチンタンゴは踊りだけでなく、歌も庶民の悲哀と愛を歌い続けてきた。
バンドネオンといわれるアコーデオンやバイオリンなど中心としたタンゴオーケストラもある。
ー以下はその放送に流れるナレーションを纏めたものである。
禁断の踊りの魅力に満ちた哀愁の漂う街ブエノスアイレス。その隅々までタンゴの一部になっているようである。
パリの街の売春宿の踊りとして有名になった時、時の法王が、そのあまりの過激さに、「タンゴ禁止令」をだした。
その時パリにやってきていたカシミール・アイーンが、法王に直訴をした。そして法王の眼のまで実際におどって見せた。
それをみた法王が感動して、禁止令を撤回したという逸話がある。 この世界中を魅了している踊りの歴史は深くはない。
南米のアルゼンチンのブエノスアイレスに世界中の踊りや歌を携えて船乗りたちがながれてきた。
そしてそこの男女が互いを誘惑しあった踊りである。キューバのタバネロや、スペインのフラメンコが混ざり合い
出来上がっていった。執拗に互いの身体を密着しあった踊り、それをアルゼンチンタンゴというようになった。
男女が誘惑しあうタンゴの原点はいつの世にも変わることはない。
変な気取りを全て捨てて鳥のように誘惑しあう姿が美しい。男女が身体を離して踊るのではない。
二人は密着しあって一つになる踊りである。 彼らはタンゴから人生そのものを学んだ。
ブエノスアイレスは犯罪が少ないという。男女の欲望はタンゴをとおして発散できるし、出会いの場が多い。
ダンス場が街のあちこちにあり、入場料はマンドリン(飲み物付き)で200円ばかり、眼が合えば一時の恋人になる。
音楽の続く3分間はお互いに相手にゆだねる。全く知らない人でも、ダンデーな男と艶やかな女になれる、
それがアルゼンチンタンゴである。
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09月06日(月)
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