ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[395237hit]
■3329, 草食系で何が悪い!
すべての科学(大脳生理学・心理学・物理学等々)は現在と過去との差異性を塗りつぶすことによってかろうじて成立している。
・・「いま」は△T1というような一定の時間を指す概念ではない。「いま」は一つ前の「いま」という相関ではじめて意味を獲得。
この「いま」をえぐり出すことは、とりもなおさずその外に一つ前の「いま」をえぐり出すことである。
今日を「いま」としてとらえることは、昨日を一つ前の「いま」としてとらえることである。
今年を「いま」としてとらえることは、昨年を一つ前の「いま」としてとらえることである。
「いま」とは、自然現象ではなく、一つの連続的自然現象を多様な関心に従って多様に区切る仕方なのです。
「いま」の出現は、互いに否定的な二つ(いまに対応した未来と過去)の
「いま」の出現にほかならず、そこにはお互い否定的なものを繋ぐ作用が必要である。
それが想起であり、その想起の主体こそが「私」なのだ。つまり、「私」は知覚においては登場してこず
(川を眺めているあいだは「私」は登場してこない)川を眺め終わって帰る時に想起したときに初めて登場してくる。
正確な知覚能力を具えているが(エピソード記憶に対応する)想起能力の完全に欠如した生物を考えてみよう。
彼は次々と知覚しその内容を記録する。しかし、次々と忘れていく。彼は自分が記録した内容を過去の事象として
理解することができない。そこに日付があったとしても、それが過去の日付であることを理解できない。
つまり、彼は連続的な自然現象を正確にとらえることができても、そこに「いま」と「いま」の楔を
打つことができないのである。そういう彼は「私」という意識をもたない。
ーーー
以上が、「いま」を哲学的に書いてあるところである。「いま」は過去の上によって初めて成り立つ、と解りやすく説明している。
(字数制限のためカット2010年5月7日
・・・・・・・・・・
2004年05月07日(金)
1130, 「ライフレッスン」?11
ー 許しのレッスン
誰も人生には、八つ裂きにしても許せない人間は何人かいる。そして自分も、他の人間にとって、そのうちの一人になっている。
相手を許すということは、けっきょくは自分を許すことである。許すということは自分の内面の魂の問題のかかわってくる問題。
「ならぬ堪忍、するが堪忍」であり、それは自分を如何に納得させるかの折り合いの問題でもある。
許すというのは、ある意味で奇麗事なのかもしれない。しかし、その奇麗事は最も大事ではなかろうか。
許しは、主体的なことである。許そうと努力していれば、そのうちに忘却の彼方に消えていくものである。
残ったとしても、自分の記憶には「許し」という言葉が包んである。
ー以下は抜粋であるー
・人生まっとうにしようとするなら許すことを学ばなければならない。許しは苦痛や傷を癒す方法であると同時に、
ふたたび他者と自己を結びつける方法である。わたしたち全員が、他人を傷つけたことがあったはずだ。
わたし達は傷をためこみながら生きているが、その傷を手放す方法はだれからも教わっていない。許しを必要とされる理由は
そこにある。許す人生を選ぶか許さない人生を選ぶかは、その人が決める問題である。許しは自愛的な行為といえる。
ー以下は字数の関係でカットしますー
・・・・・・・・
2003年05月07日(水)
763, 地方差別
東京では、地方出身者は田舎者と露骨に差別される。学生時代に東京に住んでみて、驚いたのが地方差別であった。
解らないでもないが都会生活での初めてのカルチャーショックであった。今でも海外旅行のパックの同行者の意識で驚く事がある。
それも強い負け犬の立場の人?に露骨に顕れている。 一番面白かったのが「ケニアのヌーの河渡り」であった。
都会のハイミス・ゴールドミス(グランド・オールドミス)がすざましいひと達だった。具体的には書きたくないが、
その傷口の血は濃厚だ!もう二度と、その血を浴びたくはない! 洗っても数年は落ちないほどだた!自分のプライドを守る為に
[5]続きを読む
05月07日(金)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る