ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[395311hit]

■3268, 哲学者は神について、どのように語ったか ー4
物理的な自然現象としての暗闇というのは、それ自体が存在するのではない。光がないというだけのことである。 
光のない場所を暗闇という。人間にとって光にもひとしいものは、生命である。 その生命のないところを、
人間は暗闇として感じるのである。死の暗闇が実体でないということは、理解は、何でもないようであるが、実は私には大発見。
これを裏返していえば、人間に実際与えられているものは、現実の生命だけだということである。
人間は、日々の生活をくり返して生きている。 これは、疑いのないことである。 人間にとって生命は実体である。
しかし、人間にとってあることは、今生きているということだけである。人間には、生命がある。五十年か六十年か生きているが、
その寿命の中の一日一日は、どの一日も、すべて人間にとっては同じように実体としての生命である。どの一日も同じように尊い。
寿命がつきて、死が近ずいたとしても、その死に近い一日も、健康の時の一日と同じように尊い。そのいのちのなくなる日まで、
人間は生命を大切によく生きなければならない。死というのは別の実体であって、これが生命におきかわるのではない。
ただ単に、実体である生命がなくなるというだけのことである。このような考え方がひらけてきた後の私は、
人間にとって何よりも大切なことは、この与えられた人生を、どうよく生きるかということにあると考えるようになった。
いかに病に冒されて、その生命の終りが近ずいても、人間にとっては、その生命の一日一日の重要性はかわるものではない。
つらくても、苦しくても、与えられた生命を最後までよく生きてゆくよりほか人間にとって生きるべき生き方はない。
このようにして、死の暗闇の前に素手でたっていた私は、このギリギリの限界状況まできて、逆に、大きな転回をして、
生命の絶対的な肯定論者になった。死を前にして大いに生きるということが、私の新しい出発になった。
それ以来、私は、一個の人間として、もっぱらどうすればよく生きることができるかということを考えている。
しかし、そう生きていても、そこに、やはり生命飢餓状態は残る。
人間は、一日一日をよく生きながら、しかも同時に、つねに死に処する心構えの用意をつずけなければならない。
 ーー
岸本は死の告知を受け、   ガ━━Σ(゜Д゜|||)━━ン!!
「身の毛がよだつほどおそろしい」と実感を述べている。その恐怖を乗り越えて、
「いま」を生きることの尊さに目覚め、「今が最後」とつねに思いつつ生きるところに、自分の安住をおいた。
             ☆~~ヾ・ェ・)o尸~死んじまえばそれまでよ!       マタネ~♪
ーーーーー
2005年03月07日(月)
1434, 滝の話
1月前になるが、「白川義員の世界百名瀑布に挑む」をNHK・ハイビジョンを見た。
再放送で見るのが二回目だが、一回目見たときと同じ位の感動をおぼえた。
よいものは何ごとも、見れば見るほど、知れば知るほど、その奥行きの深さが見えてくる。
滝、氷河、山脈、草原、断崖、海岸などの大自然に対する感動は何にも変えがたい。水には、生物が発生した
  「海水」の原点がある。「生き物」のように、色いろな表情をみせるため、本能的な何かが騒ぐ。
世界3大瀑布といえば、
・ブラジルの「イグアスの滝」      ・南アフリカのジンバブエの「ビクトリアの滝」
・カナダの「ナイアガラの滝」である。  ・そして、4番目が南米のベネゼイラにある
「エンゼルフォールの滝」である。その中でイグアスの滝は、ずば抜けている。とにかく規模が他の滝に比べて桁違い。
昔、アメリカの大統領夫人が、この滝を見て「ああ、可哀想なナイアガラ!」と思わず言ったという。
しかし、何で三番目がナイアガラなのか解からない。ただ、美しさは抜群である。
遊覧船で滝の近くまで行って、180度の滝に囲まれてみる豪快な光景はさすがに凄い!
   ー以下字数の関係でカットー
・・・・・・・
2004年03月07日(日)
1068, フランチャイズ・ショー −2
 主観を込めて「面白い順」に書いてみる。

[5]続きを読む

03月07日(日)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る