ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2762, 半歩遅れの読書術
地震から、既に四日目をむかえている。あらためて周囲を見渡すと、思っていたより被害は大きい。
昨夜、一昨夜と、近所の家の電気が全くついてなかったのをみると、ほとんどの住人が避難していたのだろう。
近所では、あまり大きな被害は無いようだが、二軒先の家の玄関先が壊れていた。
やはり一番のショックは、新幹線の脱線事故である。200キロでよく大事故にならなかったものだ。本当に奇跡である。
これで、新幹線の安全神話が壊れてしまった。反面、40年間も死亡ゼロというのが、奇跡に近いといってよい。
これだけ全国に新幹線が張り巡らされていて、走行中に大地震にあわなかったものだ。そう震度6の地震も無いだろうが。
あれだけ大きい石灯篭が倒れるなら、墓石も倒れているのではと寺に行ったが、見た範囲で倒れている墓は一つも無かった。
どうして墓石は倒れないのだろうか不思議である。数百年の知恵が入っているのだろう。
昨日、何時ものコースを散歩をした範囲では
・土手の大小の橋の全てに亀裂が入っていた。橋の交通止めは一箇所(段差が30cmのズレ)、
注意書きがあったのが数箇所、アスファルトで臨時に修正してあるところが三箇所もあった。
・道路は所々に亀裂が入っており、地震の大きさを物語っていた。
・家は、少し壊れているのが目立つ位で大きな崩壊の家は無かった。
・近所のソフト・ハウスでは、ガレージに事務所内の壊れた棚や机などを出して、修理をしていた。
今回の地震は全ての家庭、事務所の内部が破壊されたのが特徴である。
家内の数人の友人の家は、全てひどい状態。新潟のマンションに住む知人の家は殆ど被害は無かった。
近くにある坂之上小学校の避難所はどうなっているのか、散歩のついでに行ってみた。
受付で名前を書いて、横に積んである毛布をもらって、体育館の空きスペースに座る。
何か花見の場所取りをしているようである。 夜になると人で満杯になっるという。
受付の人に「まだ余裕はあるのか?]、と聞いたら、「ある}と言っていた。
昨夜から今朝にかけて2度、震度2〜3の地震があったようだ。
今日は、新潟に行く予定だが、どうなる事やら。高速バスは2〜3時間かかるという。
ー随想では、こういう内容を「生もの」という。
もっと具体的に、気持ちを正直に書いておくべきなのだろう。 めったにない体験なのだから。
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2003年10月27日(月)
936, 角栄の怨念 ーこの選挙の面白さ!
−字数の関係でカットー2007年10月28日
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562, ある時間の断片ー7
- 2002年10月27日(日)
1968年 9月21日
9時起床。11時に図書館に行く。13時にコモンルームでゼミのフルメンバー16名が集合する。
そして八王子のセミナーハウスへ。 近年できたセミナー専用のコテージ付のセミナーハウスだ。
思っていたより敷地が広く建物が近代的なのに驚く。 メインの建物が逆三角形で、異様な感じだ。
宿泊は二人で一部屋のツウィンだ。それぞれのコテージが違うデザインで何か異界に入ったようだ。
空には飛行機が飛び交いまるで欧州にいるようだ。
夜から早速議論をはじめる。 課題は「遊び」だ。「見返りのない、何の目的のない遊びこそが遊びだ」
「創造の為に、その背景としてそれは必要でないか」私の言ったのは「4つの1つとしての位置付けの遊び
ー「愛、創造、知性、そして遊び」であった。何かポイントが外れているようだった。
終了後、レストランで石川とゼミの一年後輩の大島君と飲んでいると、武澤先生がこられる。
その後夜半の12時半に寝る。
ー感想ー
日記を書き写していて、当時の日々がありありと思い出されてきた。
背景にベトナム戦争、大学紛争、そして高度成長期の真っ最中でもあった。歌も二度とこういう時期は
来ないというほど名曲が生まれていた。 その背景を持って誰もが緊張と希望に揺れていた。
夏休みは卒論の流通革命論を書く為に一ヶ月、大阪のメリヤス問屋に行ってきた。
その後新潟県の六日町の「雲頓庵」という禅寺に一ヶ月にも行っていた。そして自宅に帰った後の日記である。
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10月27日(月)
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