ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2653, サッカーやオリンピックで、何故ひとは熱狂するのか
彼の文章は哲学者に見られがちな、主張と反論がつづく長い文章ではない。格言や聖書のように短く区切られていた。
新しい視点でものごとを見てもらうために、心に残るイメージを利用した。
彼の主張は、暗示的であり、喩えから類推しなくてはならない。
[稲妻の閃光のあとで轟きわたる雷鳴]のように工夫してあった。
当時の人に直接大きな影響を半世紀にわたって与え続けた哲学者として、やはり特記すべき人である。
ー以下の抜粋の言葉の中にニーチェの思想がことごとく入っている。
彼の言葉は、難しく体系化されてないところが、逆に解りやすくなっている。
・私は君たちに、君たちの官能を殺せと勧めるのではない。 私が勧めるのは官能の無邪気さだ。
・独創的――何かの新しいものをはじめて観察することではなく、
古いもの、古くから知られていたもの、あるいは誰の目にもふれていたが見逃されて
いたものを新しいもののように観察することが真に独創的な頭脳の証拠である。
―「人間的な、あまりに人間的な」―
・善とは何か――人間において権力の感情と権力を欲する意志を高揚するすべてのもの。
悪とは何か――弱さから生ずるすべてのもの。 ―「反キリスト」―
・生きるとは何のことか――生きるとは、死にかけているようなものを
絶えず自分から突き放していくことである。 ―「華やかな知識」―
・真実の山では、登って無駄に終わることは決してない。
・誰であれ、若いうちは、思う存分遊ぶべきである。
長いあいだ活字の森にばかりいると、そこから抜け出られなくなるものだ
・人間のみがこの世で苦しんでいるので、笑いを発明せざるを得なかった。
・人間は深淵に架けられた一本の綱である。
渡るも危険、途上にあるも危険、後ろを振り返るも危険、身震いして立ち止まるのも危険。
―「ツァラトゥストラ」―
・狂気は個人にあっては稀なことである。しかし集団・民族・時代にあっては通例である。
―「善悪の彼岸」―
・自殺を想うことは強い慰謝剤である。これによって数々の悪夜が楽に過ごせる。
―「善悪の彼岸」―
・怪物と戦う者は、その過程で自分自身も怪物になることのないように気をつけなくては
ならない。深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ。
・私は隣人に対する愛を諸君には勧めない。
私が諸君にすすめるのは遠き者に対する愛である。 ―「ツァラトゥストラ」―
・苦しみを共にするのではなく、喜びを共にすることが友人をつくる。
―「人間的な、あまりに人間的な」―
(2008年7月10日字数の関係でカット)
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2003年07月10日(木)
827, アラスカ旅行記ー2
ーデナリ国立公園ー
今回のハイライトは、なんといってもデナリ国立公園のワイルドライフツアーであった。
デナリ国立公園は四国を少し大きくした位の大きさで、アンカレッジから3百数十`、車で6時間の距離にある。
このデナリに二泊をした。ワイルド・ライフツアーは朝5時過に出発して午後の1時過ぎに帰ってくる、
野生動植物や自然を堪能する内容だった。グリズリーベアーやヘラジカ、ムースカリブー、大型鷲、山岳羊、
雷鳥などが多く見られた。アラスカの大地を背景にした動物が自然に溶け込んでいたのが印象的であった。
なんといってもビューポイントからみた、マッキンリーの美しさに息を呑んだ。
スイスのマッターホルンと、パタゴニアのパイネ山の夕景に匹敵する神々しさであった。
ツアー客の全景をみれる確率は20lとパンフレットに書いてあったが、その20lに当ったのが幸運であった。
更に幸運が続いた。 偶然、有名な日本人ガイドの伊藤さんがガイドについたのだ。
彼の年齢は63歳、顔中髭だらけの現地のエスキモーそのものといってよかった。
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07月10日(木)
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