ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2539, 閑話小題
『私はひとりだ』と言っても、その体験を伝えるには不十分である。
それでは孤独の肯定的部分も否定的部分も伝えられない。
一方、『私は孤独だ』と言うと、独特のニュアンスが付け加えられ、引き裂かれた状態が示される。」

過去と未来を断ち切り、新たな自分に生まれ変わりを余儀なくする、
有無を言わせぬ、一瞬の体験を意味するのです。
次に、ムスターカスは「孤独に対する不安」と「実存的な不安」を区別します。
「孤独に対する不安」は
ー生と死の重要な問題に直面するのを避けるために、絶えず他人とかかわりを
求めて、忙しく立ち働いて、本質的な孤独を打ち消そうと防衛から生まれる。
一方、
「実存的な孤独」とは、ー人間の本質に目ざめていることの証であり、
生の動乱や悲劇、変転に直面していく際に育まれるものである。
この世に生まれて、激しく生き、ひとり死んでいくことの本質にある孤独が、実存的な孤独である」
さみしさは、しばしば、人と人とのつながりが拒否されたり、
離れ離れになることによって体験されているものである。
一方、孤独とは、自然の静けさの中で無言で木や雲や波に語りかけたり、
静かに詩をひとり読んでみたり、音楽に聴き入ったり、芸術作品をひもといていたときに去来する。

孤独になる勇気を持つこと。 孤独を楽しむ能力を持つこと。
この二つを備えた人間にしか、これからの時代、ほんとうのしあわせを獲得はできないはず、である。
ーーー

孤独は誰も何時も直面している問題である。だから教養とての知識の必要性が出てくる。
社会通念としての「孤独はさびしいもの、避けるもの」を、まず疑ってみることだ。
特に、携帯を持った猿にとって! 「自覚のないゴミ」になり下がる前に。

去年の同日の、永六輔がいう「虚しさ」を知った孤独こそ
永遠への扉の「いま、ここ」を覗いていることになる。

・・・・・・・・
2004年03月17日(水)
1078, 「最後の言い分」ー読書日記

図書館で借りてきた「最後の言い分」が面白い。
50人の有名人が語る人生のラストメッセージを、それぞれ短編にまとめてある。
   東京新聞編集局 (編集)
ーレビュー
死ぬ前に言っておきたいことがある! 各界著名人が語った死生観。
どのような臨終を思い描き、どのような野辺の送りを望むのか。
介護、遺言、葬儀、墓、形見…。五十人五十色の生・老・病・死。 『東京新聞』連載を単行本化。

ー以上がインターネットで調べた内容であるが、簡易な文章の中に、深い内容がアチコチ見られた。
その幾つかを書きうつしてみる。

・永六輔が、生々しい深い悲しみが直に伝わってくる。
ー「看取るのは感動的でした。ホントウに。こんな感動的なら、看取られたいと
思うくらい」1991年に父、99年に母、そして2002年に妻・晶子さんを見送った。
戒名、遺影、法名、棺はダンボールでいいと言い残した住職の父。
感謝の言葉をつづった遺言と、自ら縫った死に装束を用意した母。

余命3ヶ月と悟った妻は、死にまつわる要望を家族に伝えた。
家族に見守られる中、自宅のソファーで、安らかに息を引き取った。
「母の死の見事さに、ボクよりも女房のほうが感動したのですね。
母のように死にたいって。母とは状況は違いますけど、本人の思い通りに亡くなって。
看取り方は百点満点もらっても良いと思いますよ。

父を亡くしたときは『寂しい』、母を亡くしたときは『つらい』、
女房を亡くしたときは『虚しい』。寂しいのもつらいのも、我慢すればなんとかなる。
虚しい時の対処のしかたはちょっと・・。何をもってすれば、虚しさを埋められるか。
まだわかってないですね。習慣だった旅先の電話は、死後一年でやめましたけれど、はがきは今も
出しています。女房あてに、はがきを書いて、ポストに出し、週末、自宅に帰った僕が受け取る。
無駄のように見えますが、はがきはやめないと思いますよ。面白いから」
 (字数の関係で中略ー2008年3月17日)
 ーー
この随想日記に「私の遺言」「死について」を書いてきた。

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03月17日(月)
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