ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2495, ー自宅にも iMacー
心の中で言葉で考えることができず、ひたすらビジュアルでしか
考えることができなかった。そのためにビジュアルで思い描く能力が異常に発達した。
ダヴィンチもアインシュタインと同じ障害を持っていたといわれる。
だからこそ、ビジュアルの視覚に頼る能力が発達したのだ。
語学能力は全く駄目で、そのかわり、せっせととスケッチに励んだ。
読字能力の障害を、視覚能力を活用することで矯正したのだ。
知的障害を持って克服をした人は枚挙がない。
左脳が働かないからこそ、右脳を異常に発達させていった。
そして、その後に左脳を修正をしていった。
特に、こういう時代は右脳が重要になる。といって左とのバランスがより求められるのだ。
彼らの凄いのは、左脳をうまくカバーできたことだ。
戦後の日本の教育は左脳が駄目なら、そこで全てを否定して切り捨ててきた。
そう考えると、学校教育そのもの自体の誤りがよく理解できる。
TVタレントの黒柳徹子も、エジソンの注意欠陥障害に近い状態だった。
大問題児で、学校では手に負えなかったという。
しかし注意が一点に集中する能力は、タレントとして一番要求される。
彼女はその能力を伸ばしていったのだ。美空ひばりも楽譜が読めなかったという。
しかし一度、音あわせで全て憶えてしまったという。
それにしても、あらゆる分野に能力を発揮をしたダヴィンチが知的障害とは驚きであった。
あらゆる分野の積み重ねの上に特性ができあがるものと思っていたが、
「変形を逆に利用して個性にまで持ち上げていた」とは!「長島茂雄は馬鹿かどうか」
という議論があるが、以上の理屈からいえば彼は天才ということ。
あの野球に対する異常なほどの取り組みは、この三人に共通するものと同じである。
知的障害ーいや痴的障害?の自分として、非常に励まされた。
ただ能力が発揮できなかったのが違うが。それはただ馬鹿ということか!
・・・・・・・・・・
2003年02月02日(日)
669, ぶざまな人生
本屋で見かけた本のタイトルである。
「ぶざまな人生」というタイトルにハッとさせられる。
軽く1分程度立ち読みした程度だったので概要は主観的になる。
「人生を捉えてみると誰もが皆ぶざまな人生だ。それを初めから割り切って
自分のやりたいよう、生きたいように生きるべきだ」という内容だ。
シビアなタイトルだが、皆「ぶざま」という言葉に呪文をかけられている。
誰もが本当はぶざま人生じゃないか、見っともないという他人への
思惑など捨て切って、自分のやりたいことを、やりたいように生きるのが本当だ。
政界のプリンスと、この前まで言われていた鳩山由紀夫だって、
最後は見っともない醜態を曝け出してしまったではないか?
でもこれからが本人の真の力が湧き出てくるかどうか試されるのだろう!
凡人が「ぶざまな人生」と初めから割り切れるかというとなかなか難しい。
よほど哲学的に裏づけか信念が必要だ。それがその本の主旨だったようだ。
「ぶざま」という言葉を使う人は「教養のない中年のオバサン」だろうが。
心の奥に誰もが「ぶざまな人生だけはおくりたくない!」
あるいは「みっともない最後だけは人に見せたくない」というのがある。
自分の人生を顧みて、ぶざまとも格好よかったとも思ってない。
それではやりたいこと出来たか?というと、こんなものかという感がする。
ただ専攻が人間関係学であった為、人生のトータルデザインを考えて生きてきた。
自分の真にやりたい事を一生通して追求するのは自明の事であった。
「ぶざま」という言葉自体が「世間様」という虚構の言葉である。
それでは「ぶざまな人生とは、どういう人生だろうか?」
その言葉にやはりこだわって何も出来ないで終わってしまった人生のことだ。それなら
「初めから人生はぶざまなものと割り切ってしまえば、開き直った生き方が出来る」。
「悟りということは、如何なる場合では平気で死ぬ事かと思っていた事は間違いで、
如何なる時でも平気で生きていることであった」正岡子規の病床六尺の言葉である。
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02月02日(土)
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