ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2323, 面構え
自信のない人、失敗ばかりしている人ほどプライドが高いのは、
捨てられるだけの実績と自信がないからだ。
捨てられない典型としては二代目とか、中途半端なインテリに多い。
何でプライド?と考えたら、彼等は表面的繕いとしてのそれしかないからである。
といって表面的繕いのプライドを捨てられないのが人間の人間たる由縁であるが。
表面的繕いとしてのプライドと真のプライドとの隔離が若い頃の特徴である。
それを一生続けて死ぬときに「自分の人生は何だったのだろうか!」と悔やむ人がいる。
それが失敗の人生である。
「そういうお前こそ、その歪んだプライドが尻尾に出ているぞ!」と誰かに看破されている
のかもしれない。自分の姿は見えないし、私も相対で言っているだけだからだ。
「最後の拠りどころのプライドを持つのがどこが悪いのか、それを否定したら人間
生きていけないのではないか?」という声が聞こえてくる。
最後の最後、表面的繕いのそれしかないのだから、それで仕方がないともいえるが!
「夢」「志」を持てなかった人は、それでもよいのだろう。
「おいプライド! たかがプライド! されどプライド! あ~あプライド!」
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2002年08月13日(火)
486, 今日はお盆
13日のお盆の朝の夢は面白い夢を見る。
両親の夢が多いが、祖先の霊の夢を見ることもある。
祖先の霊が、仏壇から居間の仏像のほうに数人浮いて流れていく夢とかだ。
毎年、早朝お参りにいつも行くから、その緊張感が夢を誘発するのだろう。
今朝も少し見たがあまり印象に残ってない。
明日の朝あたりが面白そうな夢が出てきそうだが。
13日の朝はいつも3箇所のお寺にお参りに行く。
両親の墓と母親の実家の墓だ。その中でいま一箇所の墓参りの話しをしてみる。
幼児のときから、父が叔父叔母だけで毎年お盆近くに法事をしていた。
父が言うには、「戦前ある土地を買った時その地主から、父が生きている間に、
自分たちの墓参りする約束をした」とのこと。全く親戚縁者がいなかったのだ。
どういう訳か解らないが、いつも姉兄の間でいつも私だけが出席していた。
その時のご馳走が楽しみであった。 当時は法事とか葬式はお祭りでもあった。
母が元気なうちは、母といつもお参りをしていた。
母が言うに「永代経のお金を払ってあるから、私が死んだらお参りを
しなくてもよい」とのことであった。
しかしお盆の時になると、どうしてもお参りに立ち寄ってしまう。
この世では私以外誰もお参りに来ないのだ。
やはりその人の念が60年~70年たっても通っていることになる。
長岡の千住の浄福寺で、名前は福原兵?さん、
明治25年と墓に書いてあった。
今日のサロンでその墓の写真を貼り付けておく。
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2001年08月13日(月)
[107] 「私の死亡記事
図書館で何気なく借りてきた本だが、これが面白い!
各分野の有名人に「物故者の解説を、当の本人執筆という点である。」
そのお願いの文章が、前書きになっているところがまた面白い。
よくこれだけの有名人が真面目に、あるいはふざけて書いているのがいい。
まず自分の死亡時期の設定、そして死亡原因、生前の業績を当の本人が書くのだから。
どちらにしても真剣に書いてあることは文面よりわかる。特に生前の業績に対しては
意外と自己正当化しているのが可笑しい。
−私も書き始めたが侘しくなってきた。
死亡時期‐父と同じ71歳(そうすると後16年の時間)
・死亡原因‐酒の飲みすぎによるショック死。
・生前の業績ー書くに値せず。
・葬式方法は葬式坊主に一円の金も払わないようにとの
遺言の為に音楽葬、ただし身内のみで。
近じか真面目に書いてみよう。
08月13日(月)
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