ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2195, ファンタジー文学の世界へ −1
戦法が優れていることを、自らの戦果で証明をした。ー
ー以上のことより学ぶことは、
完治不能の腕を持ったことで、考えつくして全く違った戦法を自ら作った
ことである。色いろな情況の研究に全てのエネルギーを入れたことだ。
孫子の兵法と同じである。
普通のパイロットは、接近戦の銃撃の手法を研究したのに対して、
確実に勝利の取れるポジションとりの研究をしていたのだ。
チャンスが来るまでエネルギーと知識の保存を充分に蓄積していたのだ。
過去に上手くいったケースを考えると、大体がそうである。
勝てるポジション取りであったのだ。
人の真似とか、表面を見て準備不足の事業は失敗をしてきた。
といって、この時代ジックリ準備といっている間にチャンスは一瞬で消え去る。
難しいところだ。
一病息災というが,一つ病気を持っていた方が健康にとってよいのも事実である。
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2003年04月07日(月)
733, 30年間着ている礼服
現在も着ている礼服は忘れもしない記憶がある。ちょうど30年前になる。
父が「あと2週間の命」と医者に宣告された直後に母にいわれて、
「村田仕立て屋」に、父に解らないように出かけて、つくったものだ。
今でもしっかり冠婚葬祭に着ているが、全く古い感じがしない。
私が子供の頃に注文服も扱っていた頃から出入りしていた仕立て職人で、
腕がよい人だった。
年に4回位、平均して着ているとしても、120回でしかない。
それも大体が半日だから、そういたむものではないが。
しかし身につけるもので30年も使っているものは勿論これだけある。
まだまだ十年以上は使えそうなので、一生ものである。
ということは体形が30年変わってないということだ。
当時は体重が56キロ、ウエストは76センチ。
現在は60キロ、ウエストは79センチだ。
ズボンの腰周りを20年前に直したが。こうなると愛着がわくものである。
話は変わるが、
その時もしかしたら、「父は勘で注文にいっていることを知っていたので
はなかろうか?」とこの文章を書いていて気づいた。
何か生々しい話になったが、私が死んだ時にお棺に入れてもらおう。
嬉しいとき、悲しい時に着ていたものだからだ。
・・・・・・・・・・
2002年04月07日(日)
369,植民地経営
西アフリカに行った時聞いた話しである。
未文明国を統治する方法として、次の3つがある。
1、直接統治
2、間接統治でそこの王族と手を組み統治
3、隣国に間接統治の王国に攻めさせ統治
大体がこの3つである。
まずはフレンドリーに入って行き、徐々に統治していく。
その前にキリスト教の宣教者を派遣して、内側から攻めていくのが常套手段だ。
秀吉がそれに気づき、キリスト教禁止令を出したのは賢明だった。
戦後の日本も戦犯の天皇や官僚をそのまま温存させたのも王族の間接統治を狙った為だ。
今の日本は王族を飾り物に、戦後から続く官僚の支配がそのまま続いている。
そして悲しい事に、間接統治をされていることに全員満足している。
この不況は「1986年のアメリカのバブル押し付け政策」の結果である。
そして、直接支配に今露骨に入ってきたのは周知の事実だ。
今回の9・11テロは、
この間接支配の露骨のアメリカ世界戦略に対するテロである。
・・・・・・・・・
[ターザンの最期]☆☆☆
ターザンが木から落ちて死んでいた。
土に書置きがしてあった。
「誰かがツタにー」
調べたら、いつも通るツタに油が塗ってあった。
−−−
ーここで一句
ターザン殺すに刃物は要らぬ ツタに油を塗ればいい
04月07日(土)
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