ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2152, スピリチュアル・ブームを考える −3
ーそれでもわたしが生きる意味とはなにか?
 わたしたちが世界のただひとりからも「理解されたり、認められたり、必要とされたり」
 しないとき、自分が生きる意味を失ってしまう−−−。
 ・古典的承認(家族、性、社会)、
 ・現在的承認(金、「セックス」、「自己」)、
 ・反承認(「自分」)
 など承認のかたちの三層を踏まえ、
 この「承認」への欲望をいかに自分の生に捉えなおすことができるかを指し示す
 他人の毀誉褒貶に翻弄されない自己承認の道を語っている! 
 古典的承認・現在的承認・反承認。なるほど美味いタームである。
  これを「我が人生三枚舌悦楽教の三層スキーマ」=
 「世間・社会・魂」にあてはめると古典的承認
 とは世間あるいは社会における承認であろう。
 そして反承認とは?

  この「自分」にとっては、もはや他人による承認など一切無用である。
 他人を承認もしないし他人から承認してもらう必要もない。「自分」は自分が承認するからという
 自己満足と、自分が世界だという全能感、これが1990年代を特徴づける反承認である
(とはいえ、1990年代の主流は依然として現在的承認である。
そのなかの先端部分が反承認として突出する)。
 反承認は突然変異ではない。
かつての「新人類」がそうであったように、あきらかに現在的承認の正嫡子である。

 反承認とは魂のことだ。
 世間がどうであろうと社会がどうなってもいい、
俺はベートーヴェン弦楽四重奏NO.16を聴いて随喜の涙を流す。
魂にとって世間も社会も究極的には無関心事なのである。
 そうなのだ。魂にとって世間も社会も故に当然に承認も不要。
 私が私であればそれでいい。
かくして魂は自律する。すなわち存在は関係を止揚して自律するのである。
 起て万国の存在者よ
ー感想ー
・社会的の承認をまずは求め、と同時に一般の承認ー世間の承認を求め、
 世間も社会も、そんなものどうでもよいという 自分の魂の世界を求める
 ―わたしがわたしを認める世界を求める。
 これが 「わたしを認めよ!」 の三層である。
  これが人生の意味なのかもしれない。
 こうして毎日随想日記を書いているのも、
 潜在的に自己承認を求めているのだろう。
  
 ただ自己承認を強要してくるやつがいるから始末が悪い。
 自信がないからだ!     ー つづく

・・・・・・・
002年02月23日(土)
340,ある時間の断片ー3 
1968年9月2日  六日町 雲頓庵

朝6時に目が覚める。6時半に顔をあらい掃除をする。
食事の後、「流通革命」を後半100頁を読み終える。
そして昼飯。小千谷の根本医院の長男がやってくる。
二浪とか「つらいだろう!」

13時から17時半まで「流通機構の話し」を読む。
中央公論の流通の切り取りも読む。 何か集中が足りない。
21時半に禅堂にいって座禅をくむが、何かごそごそという音がする。
こわごわ見ると猫みたいなのがいる。一瞬凍りつく!
よく見ると小さなイタチみたいだ。
皆を呼びにいく。全員でそれを追いかけまわす。
逆に歯をむいてくる。
とりあえず戸締りをして、次の日にする。
ーーーーーー                 
1968年9月3日

目が覚めるが時計が止まっていて何時かわからない。
本堂に行くと6時10分、顔をあらっていると、住職が昨日の動物を
退治しようと長い棒を持ってやってくる。

そして気合もろともその動物をたたき殺す!凄い気合だ。
よく見るとイタチでなくモモンガであった。
顔を見ると可愛い顔をしている。少し気の毒に思った。

昼飯後、住職とわれら3人組で裏山に茗荷を取りに行く。
それが結構面白い!かごで3杯とる。午後の勉強は3時になる。
急に将来のことを考えると、不安が押し寄せる。
  相変わらず、読書のペースが遅い。
・・・・・・・・
お笑い
[インデアンの娼館にで]☆☆☆

白人のある男がインデアンの娼館で若いインデアンの女を買った。

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02月23日(金)
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