ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■1766, こころの羅針盤(コンパス) −1
最後は見っともない醜態を曝け出してしまったではないか?
でもこれからが本人の真の力が湧き出てくるかどうか試されるのだろう!
凡人が「ぶざまな人生」と初めから割り切れるかというとなかなか難しい。
よほど哲学的に裏づけか信念が必要だ。それがその本の主旨だったようだ。
「ぶざま」という言葉を使う人は「教養のない中年のオバサン」だろうが。
心の奥に誰もが「ぶざまな人生だけはおくりたくない!」
あるいは「みっともない最後だけは人に見せたくない」というのがある。
自分の人生を顧みて、ぶざまとも格好よかったとも思ってない。
それではやりたいこと出来たか?というと、こんなものかという感がする。
ただ専攻が人間関係学であった為、人生のトータルデザインを考えて生きてきた。
自分の真にやりたい事を一生通して追求するのは自明の事であった。
「ぶざま」という言葉自体が「世間様」という虚構の言葉である。
それでは「ぶざまな人生とは、どういう人生だろうか?」
その言葉にやはりこだわって何も出来ないで終わってしまった人生のことだ。
それなら「初めから人生はぶざまなものと割り切ってしまえば、
開き直った生き方が出来る」。
「悟りということは、如何なる場合では平気で死ぬ事かと思っていた事は
間違いで、如何なる時でも平気で生きていることであった」
正岡子規の病床六尺の言葉である。
これは「ぶざまな人生を平気で生きることが悟りである」と言える!
完全な人生を求めるな!そんなものは元々ある訳がない。
しかし知らないうちに社会的動物として完全を人生に求めてしまう。
完全でなく充分な人生しか存在しない、
それが人生というものだと割り切ってしまえばよい。
充分の人生を初めから求めるべきだ。
それを脇で見たらぶざまに見えることもあろうが。
親戚・姉兄や知人を見ていてカッコウいい人生の人など殆どいない。
遠くから見ていて例外の人がいたら、ただそう見えるだけだ。
書いていたら気分が楽になった!!
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2002年02月02日(土)
319、我が内なる無能性ー具体的内容
我が内なる無能性を具体的話に書いてみる。
周辺にいる特にいる「だめな奴ーあれ」ーなんか虐め!
ーこの特性をあげてみると
1、一回も脱皮したことがない。
一生をただ何も考えず、そのまま流れている。
2、「他人の目」が全ての価値観ーしたがって[自分の本心]が何かわからない。
価値という言葉も全く理解できない。
3、その前提として、本を読んだことがない。ーこういう人が本トウにいる。
ー思考能力ゼロ!!!!!!ーそれだけならいいが、毒ガスを撒き散らす。
4、その結果、仕事に恵まれてない。
ー会社ではヘドロといわれてる。
5、チャレンジとか闘いを、仕事で人生で経験してない。
ー逃げ回っている。
6、他人と対話ができない。
ー聞いているふりの名人で、ただ自分の話を喚いているだけだ。
7、「かにの甲羅」を心の周りにがっちり固めている。
8、関心は誰かの噂話しかない。全てが蟹の餌でしかない。
9、群れたがるーノータリんクラブ、
ー青年会議所、町内会にでたがる。(人間関係が即仕事になる場合は除く)
仕事上の利害の関係あるなし関係ない。
10、人の肩書きを利用したがる。
-貶すことで自己肯定しようとする。
何かどこかの街の旦那衆みたいな話だ。
そして自分の家柄とか誇ってる。
ー自分に関係ないのに、かつ虚構でしかない!
「どこかの同?会の要約人間」みたいだ。
そこに更に濃いヘドロが何人かいる。
その特性の共通点を挙げると、
a, 本を読まず、人の話を聞かない地元有名校卒ー変なプライド持ち。
b, その結果として、ヒラのまま。
名刺に何とかが付いている場合がある。ー肩書?長とか。
それを周囲が皆知っているのに、しかし本人の唯一の誇り。
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02月02日(木)
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