ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■1755, 道洲制度について
自分のことを書ているから、彼の躁鬱の話が面白い。
躁はある説によると、子供に帰ってしまう事だという。
そうー躁すると未来志向になってしまう。
欝は逆に過去に向かって沈むことをいう。
大体沈んでいる時は、過去の嫌なことをや嫌な人間に囚われている時だ。
うきうきしている時は、何か明日や将来の楽しみを考えている状態だ。
過去の楽しい状態を考えていることは少ない。
その意味で躁は未来志向の時で、鬱は過去に向かっている時というのは肯ける。
身近に万年鬱が数人いるが、急に20年前の恨みつらみの電話をする。
電話を受けた人は、ただ驚愕をする。
万年躁の人もいる、躁仮面をかぶっているだけかも知れないが。
ある自殺未遂三回の人は鬱の人だ。悪臭が周辺に漂っている。
自分に甘い人で、周辺に甘さからくる膿をばら撒いている。
昔の日記を面白がって随想日記に書いているが、一種の鬱かもしれない。
楽しい鬱などないのだから違うか?
躁病7年説というのもあると書いてあったが、私の周波が7年であるのは
躁質の体質なのかと考えてしまった。三年躁で四年鬱あたりか。
人間は創造をする時は「躁造」−造語ーといってよい。
準備を積み上げた上に「躁の状態」でなければ、そうそう創造は出来ない。
女性などは生理があるのだから多かれ少なかれ躁鬱だろう。
誰でも精神質はある。
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2002年01月22日(火)
308,人生の損益分岐点
人生の損益分岐点-とは人生で元はとったか?ということ。
何だろうか、そんなもの考えている暇があったらチャレンジするものを探せ!
そんなものだ。おそらく人生にそれを見ること自体、おかしいのかもしれない。
しかし、言葉の遊びとしてスキップをしてみよう。
私の場合、51歳であった。下の子供が大学入試に合格した瞬間であった。
今から5年前である。入学をしてしまえば、後はアルバイトでもすれば卒業できる。
事業で500室ーこれは新潟周辺の客室の最大数(300室)の1・7倍。
母親を見送り、一応目安はたった。その時自分の一つのライン、その表現
が人生の損益分岐点に達成したである。
人間としての一応のなすべき事の達成である。
これからは、純益のそれー自己達成とかいう真にやりたい事の自己満足の
追求だ。まずは家内に「私と結婚してよかったという」本心の満足感!
それは今更、無駄か!
そして大好きな秘境ツアーの60歳までの50回達成である。
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1月22日ー水曜日
1969年
10時に学校に到着。
川崎と会う。
次に河村に帳面を返す。
そして産関研究所に行き、レポートの為の資料を借りる。
東武百貨店でコピーをとる。
昼過ぎに寮に帰る。
市川さんが部屋に来る。
会社が平日だが休みのようだ。
彼と話をする。
何か私からゼミで得た知識を吸収しようといているようだ。
その後風呂に行き、読書をする。
22時から0時半まで勉強。
一時に寝る。
01月22日(日)
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