ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[399605hit]

■946, 22世紀への伝言ー読書日記
 次に、保育園についてですが、例えば、看護婦など、特殊な仕事の場合や、
経済的にどうしても母親が一家の稼ぎ手として働かなければならない場合
などは保育園の存在は助かると思います。
しかし、先生もおっしゃるように、保育園の拡充(「駅前保育所の増設」
「24時間保育の実現」)などは、一部の女性の利益にしかならない無駄な
ことだと思います。

もし実際にこれが実現して、女性がみな出産後すぐ社会に戻るように
なったら、古い言葉ですが「ゆゆしきこと」だと思います。
保育園で働く保母さんはみんな自分の子供を保育園に預けるのでしょうか?

「自立した女性は、将来、自慢できる母親になるであろう」といいますが、
3才までの子供のその日、その時はどうでもよいのでしょうか?
保育園には専門家がいるとよく言いますが、本当の専門家はどれだけいるで
しょうか?

もし本当の専門家がいれば子供はすべて専門家に預ければいいとでも
言うのでのでしょうか?これは母親の重要性のまったくわかっていない人の
理論です。

子供の専門家は、その母親であるはず(べき)だと思います。
そして必要のある場合は母親(父親)の判断で専門家の意見をあおぐ
べきです。
しかし、子供の専門家は、その母親であるはず(べき)だと思います。
そして必要のある場合は母親(父親)の判断で専門家の意見を
あおぐべきです。
しかし、この場合はむしろ二の足をふむ人が多いのが現状でしょう。

 そもそも女性には子供を宿し、産み、母乳を出して育てる、
というしくみが備えられています。だから太古から、男性が外に出て、
食物をとり、養ってきたのだと思います。

これは、生きるために効率の良い分業であったのでしょう。
その本来の差(特徴)を無視し、「女性も社会に出て働こう!」
「男女均等の社会を!」「男女差別をなくそう!」と、
何でもかんでも男女同じにしようと見当違いの抗争をするより、

他に考えることや実行していくことは山ほどあると思います。
それも早急に。社会で女性が不当に差別されている例は実在し、
それについては改める必要があると
思いますが、それを口実に(しているとしか思えない)片寄ったフ
ェミニズムを扇動
する人達がいるのは、出産や育児などの「仕事」もはたしつつ、
社会でも活躍したいという女性の邪魔にもなりかねません。
はっきりいって、本当の意味での平等な社会の実現を阻むものだと
思います。

それから、「身の回りの世話や育児をすることと引きかえにで、
夫を束縛し、夫に依存する」というのも、妙な言い替えのような気が
してなりません。

類似した言い替えで「夫は稼いで妻子を養ってやるので妻は家事を
やれというのはおかしい」というのもありますが、どちらも
「役割分担をする」ということが頭にひとかけらも浮かばないので
しょうか?だいたい束縛し依存することなど、
そう簡単にできるものでもありません。

 話はかわりますが、イタリアでよく聞かれる言葉で
"Sempre pronta"という言葉があります。主婦や、特に母親について
使われます。直訳すれば「常に準備が整っていること」ですが、
これはただ「家をきれいにし食事を整えておく」というだけでなく、
「臨機応変に判断し、
必要に応じて速やかに対処する」そして「受け入れる余裕がある」
という意味を持っています。私の好きなイタリア語の一つです。

 主人と結婚する前には、イタリアの女性というと
「個人主義で情熱的で自由奔放で自分の欲望のままに生きる」と
いったイメージがありましたが、踏み込んでみると、
そこには違った女性たちがいました。主人の母もその一人です。

家は埃もなく気持ちよく整えられ、服は洗われアイロンがかけられ、
傷んだものは
繕われ、丁寧に着られています。これだけ家や物事を維持していく
のは大変なことで、毎日ほとんど一日がかりのようです。
でも不思議と悲壮感や倦怠感は感じられません。


[5]続きを読む

11月06日(木)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る