ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■8094,閑話小題 〜知らないことだらけ!
 ・18年以上続けているブログで、「随想日記」のクラウドへの上奏と、
 ・ビデオレンタル(当初)、シネマ館通い、そしてWoWoWで年間、4〜500本
  の映画とドラマ観賞。 TVドラマをいれると1万本?はゆうに超える。
  何のための人生かって… 所詮は、実人生も振返れば妄想じゃないかと。
 ・早朝の散歩が30年と、10年前に切替えたミニチャリ(ポタリング)
 ・それと、居酒屋とカラオケスナック通い…
 ・そして、午前の読書習慣が、老後の精神を何とか正常に?保っている。

 地方都市で、摩擦を避け? 暢気に、生きると、この程度。内的自由の錯覚は
あったような。いや、石牢の囚人。微睡みの合間に、鉄格子の窓から天空を
みていたに過ぎなかったのか。私にとっての節目は満70歳。何かしら吹っ切れた
ような。あとは一方的に右下がりが大きくなっていく実感。 次が75歳まで
1年7ヶ月。
 
 たまには息抜きと思いきや、書き進むほど重くなる。いや、軽くなる!

後記: 書上げた後に、同月同日分を読返すと、『何だ…これは』という、
  重い内容に気楽に向き合っている自分にドッキリする。真面目くさって、
 何が面白いのだろう。 そう、『ひろしです』の一人自虐漫談そのもの。
「まあ、いいっか! 今さら。」 ところで、このフレーズ自体、テーマになる。

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2018年06月08日(金)
哲学の窓 〜「モナド」とは

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4466, 余命半年 −4
2013年06月08日(土)
          「余命半年〜満ち足りた人生の終わり方」大津 秀一著 
 * 末期から死ぬまで   
 ー末期の現象をまとめてみると、
≪ 「末期」の一つの定義は、余命六ヶ月以内、である。しかし、その状態の
 悪化は右下がりの直線ではない。 要するに、調子がズッと良かったのが、
急に悪化するケースや、凸凹であったりする。
・緩和治療を行っている患者の場合、死の1〜2週間前まではそれなりに元気
だが、その辺りから身の置き所がないような全身倦怠感が強くなる。また点滴の
量が増えることもあり、むくみが酷くなったりする。この時期が一番、患者に
とってきつい症状。そして歩行が困難になり、トイレに行くのも困難になる。
特に、きれい好き、清潔好きの人にとって辛い。 他にも食べものや水分を
飲み込むのも難しくなる。喋り辛くなり、耳鳴りがして、口はカラカラに
渇くなど様々な苦痛症状が出てくる。だから、1〜2週間前辺りまでに、
できることは早めにしておくべき。 
・そして、余命日単位になると、患者の苦痛も限界に近づき、家族の心労も
募ってくる。この時期に家族を苦しめるのは、患者の混乱、錯乱である。
「つじつまの合わないことをいったり」「周囲の状況が全く理解できなかったり」
「幻覚がみえたり」するなど、大声を上げたり、暴れたりするなど、患者を
見守る家族の苦痛は大きい。 そうだとしても、家族は身近にいることが大事。
無くなる24時間前が、そのピークなる。それが「最後の山」という。
・余命数時間単位になると、痰がつまってゴロゴロ音がずっと続いたり、
呼吸が荒くなったりするが、患者の苦痛はない。 しかし聴覚は最後まで
保たれるので、発言には十分に注意が必要。その中で、家族も辛いだろうが、
傍に付き添うこと。最後は、お医者さんも、教えるだろうから、大声を出す
のではなく、静かに耳元で囁きかけ、手を握ってやったり、身体を擦るのが、
死出への旅立ちにふさわしい。
・最後は、まず呼吸の仕方が変化をし、下あごを突き出すような医学語で
いう下顎呼吸になり、数分から数十分で呼吸が停止する。呼吸停止後、数分で
心臓も停止。その時が、死亡時刻になる ≫
▼ 実際の臨終に立ち会ったのは、近くに住んでいた伯母と、母親である。
 父の臨終は、私が当時、立ち上げていた千葉のビル現場の打ち合わせで立ち
合えなかった。臨終の場面は人生が終わるのだから荘厳だが、厳しく生々しい。 
家族も疲労困憊する。幻覚、幻聴、錯乱などは付きものと割るきるしかない。

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06月08日(木)
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