ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■7390,閑話小題 〜シネマ観賞/『ノマドランド』
フワフワした脳を公衆に晒すことを継続することで、自らを変えているつもり
だが、そう甘くはない。私たちは「共同幻想」の世界に生きている。幻想という
嘘の世界に生きているが、誰も、そのことに気づいていない。その事実を話すと
変人扱いされるため、知っている風をして黙っているしかない。しかし、誰もが、
スマートフォンを手に入れ、情報基地を持ってしまい、知ったつもりの人間が、
互いに繋がってしまった。無知同士が互いに繋がると如何なる? この世界的
動乱が、この結果である。
 ランドアーという科学者は、1980年代に、コンピュータサイズを測るのと
同じ尺度で人間の記憶量を評価することを思いたった。現時点で評価すると、
ノートパソコン一台には長期保存用として250〜500ギガバイトのメモリーが
ついているが、0・5ギガバイトだと。 人生70年の間に、一定速度で、学習を
続けるとしても1ギガバイトである。これが10倍としても、大して変わりはしない
微々たる量でしかない。これは、あくまで記憶量の問題で、脳は複雑で、PCの
記憶媒体の質量とは比較できないが… それでも、昨今の情報機器の進化をみる
につけて、人間の脳は、進化する情報機器を前に、その限界がみえてくる。
 …としても、この情報機器の進化と、情報革命の諸現象は、あまりに面白い!
知ったかぶりね、知ったかぶりですか。情報化とは、浅くも深くにもなる、
その人の程度によって… 猿でないのに何でまた、掴んだまま手を離さない?

 追:偶然だが、一年前の内容が丁度良く、文脈でつながる… 
・・・・・・
6265,閑話小題 〜「これ以上はいけない」と宣告する境界線 −2
2018年05月09日(水)
             《『街場の読書論』ー歩哨的資質についてーより》
   * 歩哨的資質ですか!
 聖地や秘境との邂逅の場で、何やしらかが、「これ以上、立入るな!」と
無言の得体のしれない何かを感じたこと屡々。その時々に私の知っていること
など、ほんの僅かで、圧倒的未知の世界の一部から得る啓示に慄然とする。
<「存在しないもの」と「存在するもの」のフロントラインにおけるふるまい>
とは、分かりやすい表現である。人間は未知とのフロントを守護する歩哨ですか。
 考えさせられる内容のため、全文を数回に分け紹介しながら考えていく。
――

≪毎日新聞社が高野山金剛峯寺で開いているセミナーで一席おうかがいしてきた。
「公共性の再構築」という演題だったのだが、それは3・11以前に出した
ものなので、もう少し踏み込んで「社会制度の作りなおし」というテーマで
70分お話しする。
このところ繰り返し述べている「存在しないもの」と「存在するもの」の
フロントラインにおけるふるまいということをまた申し上げる。

私たちの世界は「存在しないもの」に囲繞されている。
宇宙の起源を私たちは知らないし、宇宙の果てに何があるか
(というより「何がないか」)も知らない。
時の始まりを知らず、時の終わりを知らない。
『ヨブ記』で主はヨブにこう問う。

「わたしはあなたに尋ねる。わたしに示せ。
わたしが地の基を定めたとき、あなたはどこにいたのか。
あなたに悟ることができるなら、告げてみよ。
あなたは知っているか。
だれがその大きさを定め、
だれが測りなわをその上に張ったかを。
その台座は何の上にはめこまれたか。
その隅の石はだれが据えたか。
 (・・・)
あなたは海の源まで行ったことがあるのか。
深い淵の奥底を歩き回ったことがあるのか。
死の門があなたの前に現れたことがあるのか。
あなたは死の陰の門を見たことがあるのか。
あなたは地の広さを見きわめたことがあるのか。
そのすべてを知っているなら、告げてみよ。」(『ヨブ記』38:3−18)
ヨブはこの問いの前に絶句する。

私たちは私たちの生きているこの世界の「外部」についてほとんど何も知らない。
私たちは私たちの手持ちの度量衡では考量できないもの、手持ちの言語では
記述できないものに囲繞されている。

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05月09日(日)
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