ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■7148,閑話小題 〜まあ、面白そうな…行末は?
斉藤啓一 日本教文社 2000年
・「どんな時も、人生に‘YES’と言う
諸富祥彦 大和出版
ー印象的なところを「検索」で調べてコピーしたー
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『夜と霧』(みすず書房、1971年新版)
収容所での体験を描写することによって語っているのは
「人は変えようのない運命に直面したときでも、それに対して取る゛態度゛と
いうのは自ら選ぶことができる」という真実です。
「精神的自由、すなわち環境への自我の自由な態度は、この一見絶対的な強制状態
の下においても、外的にも内的にも存しつづけたということを示す英雄的な実例は
少なくないのである。強制収容所を体験した人は誰でも、バラックの中をこちら
では優しい言葉、あちらでは最後のパンの一斤を与えて通って行く人間の姿を
知っているのである。そしてたとえそれが少数の人数であったにせよ
――彼等は、人が強制収容所の人間から一切を取り得るかもしれないが、しかし
たった一つのもの、すなわち与えられた事態にある態度をとる人間の最後の自由、
をとることはできないということの証明力をもっているのである。「あれこれの
態度をとることができる」ということは存するのであり、収容所内の毎日毎時が
この内的な決断を行う数千の機会を与えたのであった。その内的決断とは、人間
からその最も固有なもの――内的自由――を奪い、自由と尊厳を放棄させて外的
条件の単なる玩弄物とし、「典型的な」収容所囚人に鋳直そうとする環境の力に
陥るか陥らないか、という決断なのである。」
生きていれば、誰しも避けがたい苦悩に直面するわけですが、そういったときに、
「どのような゛態度゛を取るのか」というコトが問題となってくるのだと思います。
変えられない運命に絶望しニヒリズムに陥ることや、責任を転嫁して他者を恨む
こと、現実逃避のために自暴自棄になることは簡単だけれども、フランクルは、
そういった態度は人間としての自由と尊厳を放棄した態度だと言っているのだ
と思います。
「〜生命そのものが一つの意味をもっているなら、苦悩もまた一つの意味をもって
いるに違いない。苦悩が生命に何らかの形で属しているならば、また運命も死も
そうである。苦悩と死は人間の実存を始めて一つの全体にするのである。
一人の人間がどんなに彼の避けられ得ない運命をそれが彼に課する苦悩とを
自らに引き受けるかというやり方の中に、すなわち人間が彼の苦悩を彼の十字架
としていかに引き受けるかというやり方の中に、たとえどんな困難の状況にあって
もなお、生命の最後の一分まで、生命を有意義に形づくる豊かな可能性が開かれ
ているのである。」
変えようがない事実そのものをそのまま認識し、そこから自分はどうするのか
・何が出来るのか、といった自らの可能性を考える態度。それは、苦しみを受け入れ、
苦しみに耐えながら、苦しみと共に生きていこうとする態度。人はこのような
苦悩を正面から受け取る態度を取ることによって初めて、その苦悩を乗り越え、
自己をさらなる高みに引き上げることが出来るのだと思います。ここにおいて、
苦悩の持つ意味・価値が創り出されるのでしょう。
フランクルは、このように苦悩を超えることによって生み出された価値と
いうのは、他の価値とは次元の違うものであるとしています。
彼は、それは如何なる外的状況(例えば、傍から見れば「失敗」であったり
「不幸」であったり「悲惨」であったりするような状況)に関係なく得る
コトの出来る価値だと述べています。
このように、苦悩を自己の飛躍へと転化することというのは、きっと誰にでも
可能なことなのだろう、とわたしは思います。わたしたちの苦悩が収容所での
経験を凌駕するほどの悲惨なものでないのなら、この、人間が運命に対して
挑むことの出来る唯一のやり方、「事実を受け入れ、そこから生きていくという
姿勢を取るコト」は、わたしたちにも可能だろうと思うのです。フランクルも
本の中で、このような態度を取ることが出来た人が過去において一人でもいたと
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10月09日(金)
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