ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■7032、閑話小題 〜白紙委任状にハンコ押せと言われても 〜2
▼ 以下の担任の先生の方が、遥かに深刻。魂の悲鳴である。親は親、子は子だよ! 
 20年ぐらい前に毎朝、土手で自転車に乗りながら、ブツブツ話す、20歳前後の変
な人がいた。後から自転車に乗りながら、聞こえよがしに、『俺は、じいちゃん、
ばあちゃんに潰された。畜生、俺の人生を返してほしい。何とかしてくれ!』と。
 このエリートコースを歩んだ主人公は、真逆で、40代後半まで順調だったが故
に深刻である。新潟駅前でビジネスホテルを30年間、経営をしていたが、二年に
一度あたり、自殺者が出る。当事者として、自殺原因が警察から知らされるが、
燃え尽き症候群の中年が… 人生は、私たちの全く知らない世界を、現に、見る
ことが出来る。現実に溺れた人たちは、悲惨である。
 
以前、こんなことを書いていた。 そこの「サイコ」ちゃん、聞いてる?

――――
2006/05/26
つれづれにー俺に人生は無かった!
 湯沢のイナモト旅館が自己破産をしたと先日の新聞に載っていた。18年前
に中学校の担任の定年祝いを兼ねた同級会を泊り込みで開いた老舗料理旅館。
40歳代前半の同級会が一番良いと聞いていたが、なるほど普段出たことのない
東京に住んでいた面々が5~6名出席をした。総勢25人、丁度総勢の半分が
出席をした。社会的にも、家庭的にも人生のピーク時で大いに盛り上がった。
その東京の在住のうち3人が、7~8年前に癌で亡くなってしまった。
 その時、担任の先生が翌日の長岡のスナックで、
「自分の人生は無かった!」と深刻な顔をして言われた。
(以前にも書いたが)一番寂しい言葉である。
「両親が現在も90歳近くて矍鑠としていて、全てを支配されていた人生。
俺の人生は無かった。本当に辛い!」と。
 60歳直後の鬱病は人生で一番キツイとは聞いていた。そういえば、
亡き義父が鬱病になりかけたのを助けたことがあったが、60歳になると歪み?
が出てくるようだ。私のように元々歪んでいる?と歪みようがないが…
 還暦になってみて、なるほど色いろの問題がシワ寄せに重なるものと思い
知ったが、欝などはほど遠い状態である。 この10年、我武者羅に生きてきた。
綱渡りで生きてきたから‘そう’いう悩みに、ただ驚いてしまった。
――
2013/08/16
閑話小題 ―悲しい酒!
何回か書いたが、先年に亡くなった中学校の担任の先生が
 定年退職時の同級会の二次会での対話。
《「堀井よ、俺の悩みを聞いてくれ! 俺には俺の人生が無かった。
  両親とも教師で、当たり前のように教員になった。現在、両親とも90歳
 近くでカクシャクとしているが、定年をむかえた今でも監視されているよう
で生涯を通して自立できなかった。何時も自問自答で『私自身の人生は無かった
のでは?』が付いてまわり現在に至った。 あるのは二人への憎しみだけ。
この苦しみは並大抵でない・・ 》
 初老性鬱症の典型事例。 赤ら顔をして、一人合点で自分の成功物語を信じて
疑わない「あの方たち」こそ、「つまらない人」。自分の姿が見えてないため。
欝になるには、それなりの多くの原因がある。 先生にとって両親は、「影」。
人生には、それぞれの現象、節目がある。それは、多面体であり、光の当て方で、
白にも黒にも、黄金にも変わりうる。中学の担任は、初老性鬱症もあって、
影両親の価値の刷り込み 牢獄の捉われに、気付いただけ。両親の過剰な愛の
牢獄から逃れるためには、自分で作り上げたライフワークを持つべきであった。
その世界は、その加熱から自身を守ってくれる。 そのことに気づく教養の蓄積
が足りなかっただけ。 それでも、気づいただけでも、良かった。 少くとも、
群て慰め合っている「あれらより」遥かにまし。 先生の両親への憎しみは、
ポンティーと、その師のフッサールがいう <考えないでしまったこと>が問題。
自分の人生の節目での選択、それも極限での選択が無かったが故の苦しみである。
避けて通っていたのである。ある意味で、万人が抱えている深刻、かつ根源的

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06月16日(火)
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