ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6951,閑話小題 〜首都圏が危ない!
ない。出あうのは今まで見たことのない御公家顔の美人ばかり。あれは、
芸子のスッピン顔だった、今回の散策で気づいたが、それは綺麗なはずだ。
 雑種の地方の寄り集まりの首都圏を除き、四日市、神戸、金沢、新潟市、
長岡市と仕事で、渡り歩いたが、こと美人とセンスに関しては、金沢が
一番粒揃いである。一番、影響を受けているのが、京都の文化のようだ。
北陸新幹線開通まで、あまり知られてなかったのが、他に、料理文化の深さ。
現在は、如何か知らないが、おでん屋、小料理屋、喫茶店に味わいの深い
店が多い。当時の金沢の話は尽きないほどあるが、どの場面も、青春の
真只中のような思い出は尽きない。時代は、経済が激動していても、
右上がりの、今となっては夢のような時代背景があった。
ドップリ、地元城下町の一角に沈んでいる自分に気づかされた一日だった。

追: これを書いた後に、20分後にポタリングに出発し花見をする予定。
 長時間バスの座席の固定で腰痛を心配をしたが、殆ど問題は無かった。
習慣の力だが、定時の3時50分に起床し、これを書上げ… 日常に世界。
一日とはいえ、この非日常の反動は、数日後に出てくることになるが…

追: これまた、いま現在、気づいたが、3年前に、以下を書いていた。
  少し出来過ぎだが、こんなものですか。話題の在庫が少ないだけだが。
――――
閑話小題 〜金沢・富山バスツアー 〜2

   * こんにちは、わが青春の金沢へ
 日帰りの『金沢、富山コース』。 国内のバスツアーは、十数年前に、、
夜行バスで行った『京都の桜・観光以』以来、二回目。40歳辺りまでは家族と
とものドライブ旅行か、友人とか、仕事仲間内の企画に参加するとかが主だった…
 その後、趣味を一品豪華主義とした秘異郷旅行など海外ツアーに絞ったため、
国内旅行は皆無だった。しかし、海外ツアーで腰痛の負担が増えてきて…
 今回は、日帰りツアーとしても、腰痛が心配だったが、何事もなく帰ってきた。
バスツアーは中高年が多いので、海外ツアーのような、強硬日程は基本的に組み
こんでないようだ。
今回は、金沢の『ひがし茶屋街・散策』と、富山の『あさひ山連邦を背景とした、
「あさひ舟川」の花見』が主である。
『金沢ひがし花街』が風情があって味わいがあった。
写真は、ネットでひろったものだが、着物姿の若い女性や、男女は、貸衣装で
着付けをしたと思われる。当地で数組の芸子らしき連れが歩いていたが、直に、
観光客の「芸子コスプレ」?と気づいた。しかし馬子にも衣裳、派手な和服の
若い女性が妙に色っぽく場に馴染んでいた。
 ネットでひろった写真の芸子は、金沢美人の典型だが、勤め先の女店員の
3分の1は、この程度の美人が揃っていた。当時の写真が一枚も存在いないのが
悔やまれる。私の年代は、戦中、戦後の境目。同じ年代でも、男は数年後の
団塊世代の女性が有り余っているが、女性は終戦直前のため、対象の男が極端
に少ない。特に当時の城下町は、隠れた男尊女卑の文化が浸透していたようだ。
 無役が故の気楽さと、加賀百万石の大らかさが相まって、ドップリと粋ある
美人に囲まれ、鈍よりした女社会の生温かさに浸った日常を過ごしていた。
それと、様々な小料理屋や、おでん屋の酒の味を思いだしていた。世間を渡り
歩いてきたと思っていたが、底辺の一部しか、みてなかったことも、あい知る
ことになった。 花街とは、裕福の男の3%の遊び場の名残りということ。
何時も、極限の先に、大きく世界が広がっていた。 金沢、娑婆娑婆の一節!
  〜【金沢・茶屋街】で検索すると〜
<江戸時代、城下町近郊を流れる犀川・浅野川両界隈に多くの茶屋が立ち並んだ。
 文政3年(1820年)、加賀藩の許可を得、犀川西側に「にし」の茶屋町、浅野川
東側に「ひがし」の茶屋町が共に開かれ、大いに賑わった。この際、旧来の不整形
な町割は改められ、整形な街区が形成された。浅野川をはさんで北西には、茶屋街
の1つである主計町がある。
茶屋町創設時の敷地割をよく残し、全国でも希少な茶屋様式の町屋を多く残して

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03月26日(木)
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