ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6453,閑話小題 〜「公正世界仮説」という認知傾向!
その毒に侵された人間は、その瞬間、ゾンビに変身する。そして地域社会の多く
がゾンビ化してしまう。彼らは思考能力ゼロのため、その自覚も無く、屍の
群れは今日も人を襲い続ける。これが城下町レベルでなく、情報化の御蔭で
全国区レベルになっている。
・・・・・・
4991,暴走する世間 −7
2014年11月13日(木)
「暴走する「世間」―世間のオキテを解析する」佐藤 直樹(著)
* なぜ日本の男はマザコンなのか
世間が、そのまま家庭に入り込んでいるため、そこにあるのは甘えの構造。
その延長を男は、酒場の女将に「ママ」として求める。マザコンは、どこか
乳離れしない母子関係の名残。 ーその辺りからー
≪一般に日本では、恋愛が恋愛として完結しない。恋愛関係はいずれ壊れるか
壊れなければ「母子関係」に移行するかのどちらかになる。奇妙なことに、
日本の家庭で夫婦がお互いをよぶときに、「ママ」「お母さん」や「パパ」
「お父さん」がつかわれる。子どもが親をよぶときの名前が、そのまま夫婦の
呼称になっているのだ。これは、そもそも夫婦がお互いに個々の人格として向き
合っているのでなく、あくまでも子どもを媒介として向き合う関係を示している。
そして面白いことに、飲み屋のおねーさんや、バーの「ママ」、クラブの
「ちーママ」も「ママ」。つまり夫の場合、家庭の外に複数の「ママ」が存在
することになる。妻に家庭外に「パパ」がいることもあるかもしれないが、
それは、愛人関係など特殊な場合だろう。妻にとっては、家庭での「パパ」は、
ただちに「父子関係」を意味しない。だが夫にとっては、家庭内外での複数の
ママとの関係は「甘え」の関係であって「母子関係」を意味する。ようは、
男はいわば複数の「家庭」をもってることになる。さらに夫の側が、家庭は
「癒しの場」や「憩いの場」だというときには、根底にはこの「母子関係」
がある。つまり、自分が癒される場所、憩える場所だと考えている。
しかし妻の側にとって、家庭はあくまでも「夫を癒してあげる場所や、夫を
憩わせる場所」なのである。そこにある癒される自分のちがいは決定的である。
阿部さんは日本では、西欧のような「個人の時間意識」ではなく、
「共通の時間意識」があるため、母親と子供の関係も、母親が90,70歳
でも、息子は息子であり、いくつになっても、母と子の関係が続く。 ≫
▼ 日本の夫婦間の喧嘩で常に妻から出る罵声、『マザコン!』。
外向きは亭主が上だが、内情は、妻のほうが上位にある。これは「母子関係」
が、知らぬ間に夫婦間に移行したため。私など、マザコン、ファザコンの上に、
4人の姉の存在もありシスコンが加わる。これが悲しいかな大家族の末子の宿命。
家の中は「憩いの場」は一切なく、常に緊張をした「集いの場」で、無言で
大人しくするしかない。そう自分とは、家庭内の他者と、家庭外の他者から、
形づくられていることが分かる。健全な家庭こそ、全ての基本になるが、
ファザ、マザ、シスコンの歪んだ私が健全の家庭をつくってきたのだろうか?
ところで健全な家庭って存在するのか?程度の問題? マザコンとファザコン
が絡みあった二人が家庭をつくるのだから、それは大変なことである。
・・・・・・
6088,閑話小題 〜改めて想う、親の愛
2017年11月13日(月)
* 相性のあった両親に出会えて
ある席で、中学校を卒業後、大手メーカーに勤めながら、夜間高校を卒業。
地方公務員試験に合格し、公司として無事、勤め上げ、今は年金暮らしという男。
後日、『あなたの話を聞いて、頭が下がる思いだった』と、問いかけると、
『実は、親父が大酒飲みで、家に金を入れず、生活に瀕していた。自分が長男の
ため、少しでも早く自立したかった』とのこと。逆に私といえば真逆で、9人
‘きょうだい’の末っ子の立ち位置もあって、両親、とりわけ父親に間接的に、
溺愛されて育った。その人の生き様から、特に「私は愛情のベースの上で生きて
こられた」と、つくづく思い知らされた。その温もりの体質が「幸せな一生」を
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11月13日(火)
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