ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4527, 生きる悪知恵 ー6
若い女性は、いや人間そのものは、心の何処かに「自分は特別な存在」と思っている。しかし少し考えれば、それぞれが
特別の存在であり、今さらいうことではない。しかし世界の広さと深さを知り、自分の卑小さ知るにつけ、特別の存在という
思いなど吹っ飛んでしまう。 最近、身近の人が正直に「私は特別の存在なの」と面といわれて驚いてしまった。
その言葉の中に、特別選ばれしものという思いあがりを感じたが、そう心の底に、思える純真は大事なのかもしれない。
ただ見方によれば、ただ無知なだけだが・・ 今、此処にある存在の不思議からみれば、私は特別の存在と思うのも仕方がないのか?
たまため去年の同日に取りあげたテーマの通じていた。
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3422, 哲学者の言葉 100 ー2
2010年08月08日(日)
* 第一章、哲学と人間
≪ すべての人は、われわれのようなものである。<ヤスパース> ≫
これまで生きてきて、どの世界にも同じような人がいて、同じことを考えていた。ただ違うのは、地方性と、レベルの差。
そこで差異をみると同時に、同じところをみることが、早く同化するポイントになる。年齢差、男女、地域性、学歴差、
などあるが、まずは、同一性が問題になる。 まず P−21の以下の部分を、抜粋してみる。
【 そもそも人間とは何であるかについて、ヤスパースは次のように考えました。
「人間は一つの点のように存在しているのではなく、いつも何かの状況の中に拘束されて生きている、そのような"状況内存在"である。
さまざまな状況と関わりをもち、いろいろな予測や判断によって危険を回避しながら事を運んでいくが、最後には乗り越えることの
できない壁にぶち当たる。それは、争い事や、責め苦や、死によってもたらされる」 ヤスパースにとっては、人間は言葉をもち
思考する生物であり、行為によって国家(都市国家・ポリス)を法律のもとに共同体としてつくった生物であり、道具を製作し仕事をし、
経済によって生計を営む生物なのであるが、決定的なことはそういう事柄にはない。 人間の本質は運動の中にあるという。
人間は現状のままにとどまってはいられず、他の動物のように平穏無事に世代から世代へと同じことを繰り返す存在ではない。
人間は、袋小路、退化、転倒を繰り返し、自己疎外に陥ることすらある……。・・・ ヤスパースは、このような意味で
「すべての人は、われわれのようなものである」と言いました。そして、人間が、やがてどこかで、いつの日か、限界状況にあるのを
知ったときに、人間はこれまでと違うことを始める。知識欲や、航海の冒険、とどめがたい好奇心等々いろいろありますが、
それは勇気を伴なう。この勇気こそが限界状況でも人間に自由への希望を与え、勇敢に終局へと向かわせるもの、とヤスパースは考えた。
人間が何であり得るかは、やはり彼の自由の希求の中に秘められています。人間が生きていく限り、絶えず努力して獲得しなければ
ならないのは、人間として品位であり、人間が人間であるのは、その品位をまた他人の中にも認めること、それが、
「すべての人は、われわれのようなものである」というヤスパースの言葉の内実(内なる事実)でもありました。】
《 人間が生きていく限り、絶えず努力して獲得しなければならないのは、人間として品位であり、人間が人間であるのは、
その品位をまた他人の中にも認めること、それが、「すべての人は、われわれのようなものである」》は、究極の真理である。
そうありたいが、そうはいかないのが人間様である。人間としての品位のないのが、人の中にあるわけのない品位を求めてしまう
から、ことが拗れてしまう。勇気こそが限界状況の中で自由への希望を与える、というのも道理である。老いは勇気の喪失からくる。
・・・・・・・
3047,自信過剰な人
2009年08月08日(土)
異常なくらい自信過剰な人を最近、身近で見かけた。その位でないと、この時代では前進できないが、それが自分の実力を超えた
思い込みでは、自滅する確率は高くなる。 やはり身近で自信喪失の人もいるから、その両者の断層から多くのことが見えてくる。
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08月08日(木)
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