ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4396,宇宙は何でできているのか −2
長年医者をやっていて、少しは自分でものを考えたことのある人は、病気や寿命は畢竟するところ「運」ということを知っている。
昔ならとうに亡くなっている人が、現代医療で長生き出来たケースもあるが、現代に生を受けた強運である。次に、感染や、
悪性腫瘍、循環障害の大半は不運に起因するところが多い。 出会いしかり、遺伝・体質しかり、生活条件しかりである。
これに無理に生活習慣病と名づけ、本人の素行いかんで完全に予防・解消できるという発想は、希望的観測や信仰に近い。
ただ皆がそうであることを熱望しているから信じられているだけだ。 健康や寿命まで運次第というと不安だからだろう。・・・
ありとあらゆる健康法をしたところで、それは入手できる限りのお守りを持っているのと大差がなく、死病を発する時には
やはり発するのである。5歳で白血病になる幼児や、20歳過ぎてクモ膜下出血をおこした青年にとって、健康法がいかなる意味があるか。
・・・ むしろ健康法とは一種の信仰なのである。本当かどうかは二の次である。「これさえやっておけば」「これをやめておけば」は、
健康と長寿が保証されるかを信じこむことで不安を紛らわせているに過ぎない。つまり健康法とは念仏とかわらないのである。
たしかに健康法や健康習慣をつづけることは念仏百万遍と同じ安心感につながる。・・・少なくとも無心で念仏を唱えることは
精神衛生によろしい。 もし当人にとって健康食品が美味しく、スポーツが楽しく、タバコが嫌いで、規則的な生活が好きなら、
念仏が趣味と同じで、それに越したことはない。 それは本質的に健康法ではなくて、単なる好みの問題である。
・・・結局、健康法や養生法というのは、いくぶん不確かな「何かのための手段を確保しようとする試み」以上のものではない。
むしろ大事なのは「何か」のほうであって・・・ モーツアルやショパンが作曲そっちのけで健康法に没頭して長生きして
孫に囲まれゲートボールを楽しんだとして、後代のわれわれにとって何の意味もないし、彼等はモーツアルトでもショパンでもない。
さらに、はっきり言えば、古今を通じて健康法や医療によって最終的に死を免れた者は絶無である。
▼ 現在も、健康法を色いろ続けている。 ウォーキングは三十年近く続けているし、健康食品も幾つか飲み続けている。
しかし、「そんなものは御守りでしかない」「それを続けていることで安心しているに過ぎない」とまで言うのか。
私は、もしウォーキングを続けていなかったら、間違いなく高血圧などの成人病で、死んでいるか、重症になっていると、
今でも信じている。 しかし、それをしているから少し不節制をしても大丈夫という慢心が出ていることも事実である。
「酒飲まず、煙草も吸わずに、百まで生きた馬鹿がいる」というが、「酒を飲み、煙草を吸って、百まで生きた奴がいる」になる。
実際は、やはり不摂生をした方が早死している。ストレス解消に、徹夜で煙草を吸いながらマージャンしている人に、
癌や高血圧になる人が多いのは誰の目にも明らかである。それで死んでも、死ななくても、その程度でしかない?ということか。
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2916,とんでもないことなんだよ!
2009年03月30日(月)
先週の金曜日の昼、新潟駅至近にあるレストランでのこと。隔月ぐらい入るが、パンとコーヒーが美味しい店である。
食事が終わった後でコーヒーが美味しかったので、追加料金が100円こともあり注文をした。
ところが一口飲んで噴出しそうになった。 (ぬるま湯ではなく)ホボ水に近いコーヒー。出してくれた女性に思わず
「水に近いけど、これって、とんでもないことなんだよ!」と言ってしまった。それより何で、水に近いコーヒーを
出してしまったのか、その方が興味を持った。コーヒーに濃い目と薄めとメニューにあったので薄めを頼んだが、
湯を継ぎ足すのを水と間違ったようだ。
(字数制限のためカット2012年3月30日)
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2552, アランの幸福論
2008年03月30日(日)
「幸福論」は、古典的に読み継がれているのが、ヒルティ、ラッセル、そしてアランがある。
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03月30日(土)
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