ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4162, 節目時に何をしていたか ー2
間接にしか知らない二人称の死であり、もっとも死について考えさせるケースである。そこから逆に、死から生への逆照射をすると、
【生きるとは何か】のヒントが、みえてくる。【私は生まれた】と、逆に私の誕生を過去形でしかいい得ない。未来の死と、過去の誕生、
「現在、生きている私こそ、この世の存在」ということになる。だから、現在、四苦八苦としても、それを生きる証として受け止めるのが自然。
私の死と誕生の、死の時点は、私にとって特異点。 この2つの特異点の間が「私が生きている」現在形として語ってよい。
自分の過去も、現在、そして未来を思い浮かべている現在も含め、全てが現在と言いうるのではないか。
そこにベルクソンの時間論の意味が、ある。時間など人間の主観?の捉え方でしかないと。
で、二人称の死から考えられるのが、自分の死と生のイメージの絵の書き加え、修正作用となる。
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3057,逆説思考
2009年08月18日(火)
「逆説思考」というのがある。哲学は、常識をまずは疑ってかかる。
「逆ではないかい?」と、まずは逆説をたてることから始める。私が学生時代に学んだことは、これだった。
まずは、否定してみる、そして、次に立ち戻って肯定してみる。その間に、第三の案が出るのを待つ。それが考える第一歩となった。
その繰り返しの中から自己の客観化すなわち「自己距離化」が生じる。 もし自分が大きなミスをして追い詰められた時に、
「この大きな問題を解決する能力を神によって与えられた試練である。問題の中心に向けて集中していると自ずから解決の糸口が現われる。」
と考える。 これも逆説思考でプラスへの切り替えである。 看取り学のキュープラ・ロスも人生は問題の連続と看破。
その解決のプロセスを学びと捉え、最終のレッスンが死であるとした。これもまた逆説思考である。オーストリアの心理学者のフランクルは
ナチスの死の収容所の生死の淵で、数年後の自分の姿を思い浮かべ辛さを乗り越えることが出来た。「その時に私は、あるトリックに
すがりました。1945年のそんな中で想像してみたのです。 私は、講演用の見台の前に立って、講演をしているんだ。
たとえば、『一心理学者の強制収容所体験』というような題で講演しているだ、大きく、綺麗で、明るい照明の、なによりも
暖房の効いたホールで」というように。これも逆説思考である。金沢で落ち込んでいた時に、夜半に同じような気持ちの切替えの経験があった。
いや、ずっとこの連続が人生であった。『自分は事業を立ち上げる修行にきているのである。最悪の状態こそ最良なのに何が苦しいというのか。
この現実を受け入れること、そして経験を味わうことだ』と。そう考えてから、気持ちが楽になって冷笑していた自分と環境が違う視点で
見ることができた。 人生、還暦を過ぎた今こそ、逆説思考が必要なのだろう。 生老病死が現実として目の前に突きつけられる。
今さらジタバタしても遅いが、生老病死のレッスンもまた面白いと思えるかどうかだが・・・
山田風太郎の世界? 果たして、人生の完成などあるのだろうか? あるわけない、迷ったままで充分! これも逆転思考。
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2692、「誠実であるということ」とは、どういうことか?
2008年08月18日(月)
私の好きな哲学者の中島義道が『哲学者というならず者がいる』の中のカント哲学「実践理性批判」で、誠実性について次のように
述べている。「誠実性が実現されてない限り、いかに外形的な善が実現されても厳密な意味で『善』は実現されていない。」
誠実性とは何か?とは、「善い行為」を実現するさいに、僅かでも自己利益が混入してはならないということ。
(取引を求めない、という仮言命法、ということか)
中島はカントが実際言ってないとしても、言いそうなこととして次の4つをあげている。
・自分をわずかでも実際より善く見せようとしないこと。
・自分が不利益を蒙るとわかっていても、それが真実だから「そうだ」と語ること。
・他人が不利益を蒙るとわかっていても、それが真実だから「そうだ」と語ること。
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08月18日(土)
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