ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4026, 「人生の知恵」ノート
2556, 印度放浪 ー1
2008年04月03日(木)
  『印度放浪』 藤原新也著  朝日文庫
写真家の文章は何故もこのように対象を、そして対象に映った気持ちを上手く表現出来るのだろうか。
言葉の一言一言が詩のようでもある。以前、買って目を通したが、長男がインドへ行ったのを機会に読んでみた。
文庫本になっているが、半分以上がカラー写真で、40年以上前に書かれたものとは思えない。
 表紙を開くと、すぐ次のページに、この一行だけが書いてあった。
ー 歩むことに、ぼく自身と、ぼく自身の習ってきた世界が虚偽に見えてきた。ー
そして、その二ページ後に、
ーぼくは歩んだ。
 出会う人々は、悲しいまでに愚劣であった。
 出会う人々は、悲惨であった。
 出会う人々は、滑稽であった。
 出会う人々は、軽快であった。
 出会う人々は、はなやかであった。
 出会う人々は、高貴であった。
 出会う人々は、荒々しかった。  世界は良かった。
《旅》は無言のバイブルであった。《自然》は道徳であった。《沈黙》はぼくをとらえた。そして、沈黙から出た言葉はぼくをとらえた。
良くも悪くも、すべては良かった。 ぼくは全てを観察をした。 そして、わが身にそれを《写実》してみた。
▼ 40歳になって15年ぶりにこの旅をふりかえった著者が「なぜインドに行ったのか」の質問に言葉がつまり、
 その若者の後の影に、過去の自分を投影する。 (若いときの自分について)
 青年は何かに負けているようだった。たぶん青年は太陽に負けていた。
 そして、青年は大地に負けていた。青年は人に負け、熱に負けていた。
 青年は牛に負け、羊に負け、犬や虫に負けていた。青年は汚物に負け、花に負けていた。
 青年はパンに負け、水に負けていた。青年は乞食に負け、女に負け、神に負けていた。
 青年は臭いに負け、音に負け、そして時間に負けていた。
 青年は、自分を包みこむありとあらゆるものに負けていた。
 疲れたその青年の目は表情を失っているかに見えたが、太陽にいられて眩く白熱する、
 目の前の地面を、ただぼんやりと見つめ返すだけの意思をわずかに残していた。・・・・
 ・・・なんか知らんけど目茶目茶に何でもかんでも、負けにいったんじゃないかなぁ。最初の頃は。
(字数の関係でカット2012年4月03日)
・・・・・・・・・・
2007年04月03日(火)
「定年以降の生き方」を考える         才八∋ウ_〆(∀`●)
 今年から、大量の団塊の世代が定年を向かえる。
その第一期生が、この4月から正式に大量に会社から(悪くいえば)放りだされる。「組織」から離れて「個」として、
どのように自立(自律)するかが問われる。「孤独」「孤立」した時に、自分と如何に付き合っていくかが真に問われるのが、
これからの人生である。それまでの組織内での相互依存関係の環境が、自分自身への依存になるから厳しい。
宅上犬が「明日から家の外で暮らしなさい!」と翌日から屋外に放り出されるのと同じ。勤めていた会社の価値観は、
他では全く通用しないしないことに、そこで初めて気づく。鑑札のある首輪があるうちは、誰も温かく向かえてくれるが、
首輪が外されてしまえば、誰も相手にしない。その時ただ一人茫然とするしかない。そこで手っ取り早く「定年退職者の溜まり場」に
ソソクサと出かけても、「自己を持たない濡れ落ち葉同士の葉っぱ」の絡み合いになるのは、当然の成り行き。 そこにいるのは
自分と同じ「虚しさ」を埋めにきているゾンビばかり。「人生とは何か」を考えたことのない人は、自我の先の自己が希薄である。
そこでは自我と自我のぶつかり合いになるだけ。ここではゾンビの話ではなく、定年退職後の生き方を問おうとしているのである。 
面白いので、つい話がそれてしまった。 還暦になる前に10~30年かけてライフワークを確立すべし!ということ。今さら言っても
仕方がないが・・ 面白いから話を続けよう。そこでは即席でもよい、「楽しい」と思えることをやること。

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04月03日(火)
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